【生活】持続可能性社会を誤認しています
このところ、甲子園のセンバツが盛り上がっていたが、今日ついに優勝校が決まったようだ。
今日は全く見られなかったが、プロ野球といい、日常に野球がある時間はとても快いもである。
そして、かくいう私も甲子園に立つ古豪くらいには優勝(恋人)ができていない。
もうあれはいつの栄光だったのだろう。誰も覚えていないのである。
そもそも、予選に出られているのかすら、誰の目にも明らかなほどあやしい。
昨今、SDGsが提唱されて久しい。
次世代にタスキをつなぐため、各人ができる限りやっていきましょうという取り組みらしい。
ここで、明らかに奇声を発させていただくのだが、
ちょっと社会~?私の恋愛もSDGsに組み込んでけろ~????
だって、持続可能性社会なのでしょう?持続する可能性ということはつまり、
継続的にワンチャンある社会ってことっしょ??(知能指数2)
このままでは持続するものも持続しないのである。次世代に何も残らないのである。
いや、残るとすればそれは、深い悲しみの残滓がふっと薫って路地裏に消えた残り香なのだろう。私的に詩的になってしまったが、私の史的に彼女がいなくて久しいのだ。
先日も女の子と会ったのは良かったが、連絡頻度が合わずにフェードアウトされてしまった。その前は音信不通で、その前は知らぬ間にブロックされていたっけ。
このような三羽烏にはもううんざりなのである。マ~~ジでつらいのだ。もうこんな、SASUKEのクワッドステップスで落水するような恋愛事情(恋愛にすら発展していない)はこりごりで、早く恋のODAを施していただきたい。
そんな悲惨な体験をするたびに、せめて長文にして気持ちを晴らそうとしてしまう私は、今日も今日とて太字を連発し、何の薬にもならない文章を投下する。
もはや、悲惨こそガソリン。だが、そのような燃料に頼るのは良くないね。
なぜなら、ガソリンは環境に良くないからね。
そう、恋のSDGsとは、このような悲惨な体験におさらばするための気の持ちようだったのである。
というわけで、昨日はゆっくりお風呂に浸かって、スキンケアと歯磨きをし、たっぷりの塗るマスクを顔に染み込ませて寝るに至った。
翌日も悲しみが消え切ってはいなかったが、自分に優しくできた分、ちょっぴりオトナさ。
長い文章を書くのは苦手ではないのだが、きっかけがないとなかなか手を付けないたちで、今回はよいきっかけだったと割り切ろう。
そして、いつか自分なりの幸せを分け合える人に出会う日まで、一生懸命やっていこうと思ったのであった。やっていくぞ。