特に何かニュースがあったわけではないのだけれど、ふと脳内にプロ野球の選手の顔が浮かぶ時がある。例えば、同じ苗字の人を見かけた瞬間、似ている顔の人に会った時、などだ。
そんな時に思い起こす選手は、いったいどんな選手だろうか。
とっても活躍した往年の選手だったり、現役バリバリの選手、あるいは若手でこれからが楽しみな選手・・・・と、様々な色合いの面々が浮かんでは消えていく。
そして、「微妙な活躍しかできなかったけど、自身ではなぜか印象に残っている選手」も出てくるに違いない。長いプロ野球の歴史上、そのようなあまたの選手がプロの世界を去っていったことは紛れもない事実である。
そんななかでも、「助っ人外国人」という立ち位置の選手は実に短命だ。
なぜならば、彼らには場合によっては特別なギャランティ、特別なスカウト活動、外国人枠等々の問題が絡むため、活躍できない場合は比較的短期で解雇されてしまうからだ。
ただ、彼らのイマイチな活躍ぶりと彼らの個性とは全く切り離されて考えらるべきであるし、助っ人としての活躍を期待したファンの淡い思いは確かに存在したはずだ。
というわけで、今回の記事ではそんなイマイチ助っ人たちが残した記録に触れながら、ファン目線で彼らの印象を好き勝手に述べようと思う。イマイチな記事でも、彼らが海を渡ってきたようにネット航海の旅へとプレーボールである。
ケニー・レイボーン(2005・広島東洋カープ)
登板11 勝利3 敗戦5 防御率5.06
広島東洋カープが、ルイスやシュルツを当てる少し前に獲得した外国人ピッチャー。
球の回転で打ち取るいかにもな外国人特有のフォームが印象的で、「制球が良さそう」というイメージがあり、それを真似した思い出がある。
あまりにもイマイチだったのかyoutubeにはこの動画くらいしか見当たらなかった。そういう点もグッド。
それでも、彼は広島退団後に台湾へと渡り、見事助っ人としてエースに君臨。アジアシリーズへの出場で日本へと凱旋登板を果たしたのであった。
ただ、そのシリーズ戦(確か中日戦)でも活躍を果たすことはできず。やっぱりレイボーンは微妙なんだなぁという、広島時代のイメージが覆ることはなかったのであった。
ラモン・オルティズ(2007・オリックスバファローズ)
登板17 勝利4 敗戦7 防御率5.82
ニコニコと散髪をしていたおじさん、という朗らかなイメージが強い。
散髪の心得があるようで、ニュース番組内で腕前を披露していた。上手なのかは不明。
私が観戦したソフトバンク戦に登板した際には、それほど怖さのある投手という印象はなく打ち込まれていたのだが、メジャーでは複数回2桁勝利を記録した強者らしい。
きっと彼は野球を離れても、その素敵なほほえみでボールとグラブをハサミに替えて、誰かを散髪しているに違いない。散発ピッチングの次は散髪だ。がんばれオルティズ。
マット(マシュー)・ホワイト(2007~2008・横浜ベイスターズ)
登板39 勝利1 敗戦3 セーブ2 ホールド9 防御率4.87
彼の特徴は、一見すると日本人投手と思ってしまうような、身体も使った投球フォームである。そして、そこから繰り出されるスライダーが武器。
上記の投球フォームには解説者の誰かが触れていたのを覚えている(巨人戦だったかな)。「ふ~ん、そうなのね~」なんて思ってたら何のためらいもなく打たれ驚愕した思い出。
確か、その頃の横浜と言えば暗黒期真っただ中。外国人も不作で、ジェイジェイだのウッドだのウィリアムズだの有象無象が跋扈していたのだ。
マットホワイトもすぐ解雇かな、と思っていたらなんと残留しこれまたびっくり。ここから巻き返しかなと思いきや結局2年で帰国してしまった。あの奇跡は何だったのだろうか。
ジャスティン・ジャマーノ(2009・福岡ソフトバンクホークス)
登板13 勝利5 敗戦4 防御率4.38
器用なピッチャーだったという印象が強い。
同時期に入ってきたアギーラがド派手パフォーマンスを特技にしていたのに比べると、彼は大分大人しい。
1年して日本に慣れ、来季くらいからは本領発揮かなと思っていた矢先、メジャー意向が強かったようで退団してしまった。
結局、2009年には同僚のホールトンが先発転向で結果を残したから良かったものの、もう少し日本球界での行く末を見守りたかった投手の一人であると言えよう。
ジャン・チェンミン(2006~2007・読売巨人ジャイアンツ)
登板27 勝利5 敗戦6 防御率3.20
台湾から颯爽と現れた右腕。その姿が若くして日本へと来た郭源治にダブって見えたのは私だけであろうか。
風貌も格好良いし、制球力もあったと記憶しており、将来のスターになれる投手だと踏んで密かに期待をしていたものであった。それでも、2年目には思った活躍ができずにその年のオフに解雇されてしまった。
やはり、ネックとなった1つは外国人枠の存在であろう。力のある球団ならではの外国人招聘が、彼には壁となってしまったのだ。
それでも、巨人は彼を育成するべきであったと思う。若い選手であったし、多少時間が必要だったのではなかろうか。
そんな多少不運にも思える去就に、「イマイチ」という一言には収まらない哀愁や渇望、様々な思いが交錯しては霧散していく。
いかがだったであろうか。
「イマイチ」という冴えない単語にも、幾多の挑戦や熱意、夢を叶えられなかったもどかしさや諦観の念などが感じられた。
普通助っ人が活躍しなかった場合には憤ってしまうものであるが、一歩引いてみるとそれぞれの経歴や人生が垣間見えて何とも言えない気持ちになってしまうものだ。
全てのプロ野球選手、そして特にイマイチの壁に苦しんだ助っ人外国人に幸多からんことを。