【音楽】一文字系ソングで連呼補給
歌詞を気にする、気にしないというのは、人によってだいぶ違う。
リズム重視で歌詞を全く気にしない人もいれば、歌詞が繰り広げるストーリーを気にする人、あるいは言葉選びや韻などを気にするという人もいるはずだ。
もちろん、対象が邦楽か洋楽かで変わるだろうし、アーティストや作詞者によって気にする度合いが変わることもあるだろう。それこそ、楽しみ方は千差万別で、人の数だけ答えが用意されている。
そんな「歌詞」だが、邦楽洋楽問わず、「一文字系ソング」というものが存在する。
一文字系ソングとは、楽曲中に一文字が連呼される部分があり、そこが実に印象的である楽曲のことをここでは指し示す。また、最後のサビのメロディーを連呼で埋めてるというものではなく、キチンと連呼パートが独立して存在しているという特徴がある。
ともすると、カラオケで歌詞が表示されないがために、「え?スキャットしてる??」とエセ由紀さおり呼ばわりされかねないが、楽曲がもたらすインパクトを大きくしたり、小休止の役割や転調の役割を果たしたりと、一文字だからこその輝きを放つ曲が多い。
また、一文字だからこそ応用が利き、連呼することで独特のリズムを生み出すこともあるため、歌詞気にする派、しない派を問わず楽しむことが出来る。
今回は、そんな一文字系ソングを思いつくままテキトーに挙げていき、好き勝手言いたいことを言おうと思う。
プロ・デューサー/タルトタタン
メタ要素がふんだんに盛り込まれた歌詞が展開されたと思いきや、何事もなかったかのような「ラ」の連呼。まるで、欺瞞に満ちた世の中に「ラ」が鋭く切り込んでいくようである。
アイドルという、言わば作り上げられた偶像に、「ラ」を繋げることで生み出されたカタルシスで対抗する図が楽しめる、そんな一曲となっている。
ラのシャワーを聴きながら小躍りするもよし、ぼーっとするもよし、投げやりも現実逃避も、彼女らの「ラ」はしっかりと受け止めてくれる。
My Chemical Romance/Na Na Na
まるでマッドマックスシリーズを見ているかのような疾走感に溢れた一曲。冒頭部分から「ナ」の連呼で気分を爆上げしてくれる。
また、連呼部分が楽曲名になっているのが特徴の一つで、現地では「ら・ら・ら」(大黒摩季)的ポジションの楽曲である(諸説あり)。
邦楽だとイケナイ太陽の場合もそうであるが、「ナ」の連呼というのは実に盛り上がる。サビに持ってきて盛り上がりの余韻を長引かせても良いし、始まりの方に持ってきて期待感を煽るのも格別だ。困ったときの「ナ」の連呼という、歌詞界における「ナ」の権藤博的活躍ぶりをうかがうことができる良曲でもある。
Hush/Kula Shaker
ディープ・パープルのカバー曲であり、世代によっては懐かしの一曲。どちらのHushも言わずもがな最高である。そして、これにも「ナ」の連呼が実に効率的に組み込まれている。
というのも、「ナ」が楽曲の始まりを彩るだけでなく、転調のきっかけとしても機能しているからである。まずは、冒頭部分のカウントダウン後の「ナ」。曲としての口火を切るだけでなく、この部分だけで成立してしまうようなインパクトの強さを持ち合わせている。
加えて、歌詞と歌詞の間に要所要所で「ナ」が挟み込まれており、「ナ」の連呼で舞台が一度綺麗に均されるかのような落ち着きを各パートに与えている。
これらから、「ナ」の持つユーティリティーの高さが痛感できること請け合いの一曲と仕上がっている。
ナナナン魂/ゆうさま
「ナ」の連呼で楽曲が作れる、というノーベル賞級の証明をしてしまった渾身の一曲。
もちろん、ナナナン魂という楽曲名だけに、所々「ン」が入っているのを聴き逃してはいけないが、ここでの「ン」は句読点的な役割を果たしていると言ってよいだろう。
これは、歌詞が「ナ」だけで楽曲がだれてしまうということを避けるため、いわば調子を整えるために「ン」が入っていると考えられる。なぜなら、ちょうど「ン」の部分で歌詞を区切ることが可能だからだ。実際に口ずさむとよくわかる。
つまり、それを考慮するとこの楽曲は「ナ」の純度が100%であると言え、もはや成城石井で買った「ナ」みたく、贅沢な「ナ」の塊を楽しむことが可能なのである。さすがは塊魂の面目躍如といったところだ。
如何だっただろうか。
他にも、「路地裏の宇宙少年」とか「YAH YAH YAH」とか挙げようと思ったが、ナナナン魂に勝てる楽曲が見つからないという理由で締めさせていただく。母音が「あ」の一文字が連呼に適しているということなのだろうか。
改めて一文字の連呼とは、シンプルながらも奥が深い。普段なかなか、そのような連呼の機会はないからこそ、一文字系ソングが我々に示す世界には憧れや不条理、可能性などが溢れているようにも感じ取れる。
読者諸兄の明日からの音楽ライフに、ぜひ一文字系ソングという変わり種への楽しみを。
【お酒】台湾行っ(た気分になっ)てきました
寒い。
寒波の襲来でこうも連日寒いと、どことなく喪失感が生じてくるのは気のせいだろうか。
すると、「寒さに何か奪われてるんじゃあないか」なんてポケットを漁るような感覚で、「旅に出る時間」がすっかり無くなっていることに気が付く。
正確には、毎年連休にはどこかしらに出かけるという幸せな生活を送ってはいるのだが、時は師走。寒さとのタッグに人々は急ぎ、焦り、そして一様にあわただしく新年へと駆け去っていく。
私は、寒風吹きすさぶ時間の急坂にてひと段落したいと思った。こうなれば、旅に出るしかないだろう。
そんな折、「12月中旬に台湾ウイスキーが入る」と知らせてくれたバーがあったことを思い出した。土曜日は20時過ぎにもなって、私はいそいそと支度を済ませ、台湾ウイスキーが飲めるというバーの紹介席を目指したのであった。
というわけで今回は、その日飲んだお酒を使った回顧録を好き勝手展開しようと思う。
1杯目~シンガポール・スリング~
お目当ては、台湾ウイスキーの「カヴァラン」であったが、切り札取っておくタイプの私は、迂回してシンガポールからスタートすることに。
ジンベースのさっぱり甘めのカクテルで、今回は嬉しいことに追熟パイナップルの切り身付き。
ベースとなるはビーフィーター。以前の記事での敗戦の立役者であるマティーニも、確かビーフィーターが使われていたが、今回は苦にすることもなくスルスルといけた。リベンジ成功である。
2杯目~さつま芋のデザートカクテル
一風変わったお芋のカクテル。カルーアベースで、スイートポテトを思わすような口触りの良さと甘さとが引き立ってゴクゴク飲める。香り付けで、焙煎珈琲豆をそっと添えてくれた心配りが嬉しい。
シンガポール、薩摩(鹿児島)とじっくりと足場を固め、次はいざ台湾へ。
3杯目、4杯目~カヴァラン・ストレート、ロック
温暖な南国生産ということもあり、熟れたフルーツの要素も楽しめる早期大成型の一杯。
まずは加水をせずにストレートで。口当たりは優しく、後味に仄かな甘みが残る。途中に1,2滴水を垂らしてグラスを回すことで、香りの受け口が更に広がって味わいも変化したように感じる。ロックでは、味が丸くなったのか飲みやすいが大人しくなってしまった印象。
私が好んで飲む、アイラ島のピーティー集団とは一線を画したような、温暖な気候でよく成長した元気で温和なイメージが味や香りから楽しめた。
ぶっちゃけ、味とか香りのイメージなんていうのは適当で、バーテンダーさんが上手に連想させてくれているようにも思えるのだが、今回の場合は「ようこそ日本へ 熱烈歓迎」的な雰囲気が楽しみたかったので、そういう意味では大成功であった。美味しかった。
5杯目~ブッカーズ・ロック
隣の常連さんが頼まれていた一杯。私のカヴァラン・ロックに触発されて水割りをロックに変えてくださった。それに私も応えるかのように注文した。
バーボンウイスキーということで、言わずと知れた名産地・ケンタッキー生まれの舶来品。アルコール度数が40台よりも高めとのことだったが、それを感じさせない飲みやすさで、飲み終わりにかすかに舌が痺れる感じが心地よい。
アジア圏から一気にアメリカに飛ぶ辺り、さながら相対性理論の「気になるあの娘」の歌詞である。
6杯目~キャンベルタウン・ホット
締めの一杯は、ピート香がたまらないキャンベルタウンを。ホットで飲んだことはなかったが、良い感じにお湯でまろやかになっておりナイトキャップと言うにふさわしい仕上がりとなっていた。これにて、お酒で巡る世界旅行も一先ず終焉を迎えたのであった。
以上で回顧録は終わりである。
世界でそれぞれ特色を持ったお酒が造られ、それらが一堂に会する様は壮観かつ賑やかで楽しい。
お酒でなんだか人とのふれあいでなんだか分からないまま、暖かな気持ちで帰る家路に、私は師走の喧騒を忘れることが出来たのであった。
お終いに、そんな帰路を表すかのような脳内ぐるぐる賑やかスウィングでお別れを。
【生活】女っ気補給とLINEスタンプ
ついに2017年も12月に入った。
この時期に再度、ニュースで天皇陛下の生前退位の話題が出るあたり、人々は慌ただしさに身を置きつつも新しい何かを待望している、そんなそわそわした空気を感じずにはいられない。そんな2017年の最後のストレートラインである。
そして、年の暮れの前に待ち受けるは、「聖なる夜」ことクリスマス。
華やかな色付きの灯たちは、まるで愛し合う二人のためだけにあるかのよう点在し、平年以下の際立つ寒さは、親密な2人の体温を徐々に上げていく。大切な異性と寒さをやり過ごすことで、大切な思い出を作るにはもってこいのイベントの一つだ。
そんな雰囲気に絆されてか、この時期に彼氏や彼女作りに奔走し、一発逆転をしてやろうという人が出てくるようになるのも、この時期の風物詩である。
かつて、今も語り継がれる伝説の試合「10.19」で、近鉄の内野手・大石大二郎は言った。
「頑張れば3分で終わるかもしれないじゃないですか」。
試合時間が4時間を超えた場合はその試合を引き分けにする、という当時の規定によって近鉄が優勝を逃した試合なのだが、4時間まで残り3分しかないなかで10回裏の守備に就くナインに向けて言った言葉。
終わりを迎える瞬間まで前向きな気持ちでいることが伝わってくる名言で、12月という暦にも動じないパートナー探究者に通じるものがある。クリスマス前に付き合う人を必死に探し出す人には、最後まで勝負を諦めない大石の大ちゃんと似た熱さを感じてしまう。
そんな、ナリタタイシンかの如くの追い込みを見せる人もいれば、余裕綽々でツインターボのような爆走逃げ切りを見せる人もいるが、私はといえばマイペースな道中待機で彼女をマチカネタンホイザしてるだけで、何も動いていない。
ただ、動いても仕方ない部分が少なからず見受けられる。事態は深刻なのだ。
ということで今回は、そんな自分を戒めるために彼女ができない要素を抽出し、好き勝手言いたいことを言おうと思う。
パワプロ11で、海外選手の名字の音声登録をひたすらチェックし、作った選手でオリジナルチームを作っている
前回の記事でも触れたのだが、最近パワプロ11で遊ぶことが増えた。
というのも、また新たな楽しみ方を見つけたが故である。それは、「音声登録機能」だ。
パワプロシリーズでは、ストーリーを進めながら選手を育成していく「サクセス」というモードがお馴染みで、私はそのモードもよく遊ぶ。
そして、ストーリーを始める前には、必ず選手の名前や利き腕、守備位置などを決定する。
そこで名付けた選手の名前は、ゲームに登録されている音声であれば、実況やスタジアムのアナウンスで呼んでくれるようになっているのだが、その登録音声データはネットで探しても見つからず、どんな名前が登録されているかはゲームでしか確認のしようがない。
加えて、他のモードに出てくる外国人助っ人の登録ネームに関しては、手動入力で名前を入れてみないと、音声データがあるかないかがわからないようになっている。
そこに面白さを感じた私は、とりあえず思いつく外国人の名前を片っ端から入力して、いけるかいけないかを調べることにした。
そこで分かったことは以下のことである。
・アメリカ人の名字ランキングトップ50くらいは確実に名を呼ばれる。
・ラテン系だと、デフォルトで入ってるサクセス・キューバ代表の名前以外に、カストロ、カルロスなどはいけた。
・スタッフが遊び心を発揮してると仮定し、思い付きで0083メンバーの名前を入れてみたら、キースとアデルはいけた。逆にウラキ、バニングの名はいない。なんでだよ。
・過去にいた助っ人の名は、呼ばれたり呼ばれなかったり。00年代以前のマイナー助っ人の名は厳しい。
そんなこんなで、あーでもないこーでもないと試行錯誤しながら、新しい楽しみ方でパワプロ11をプレイしているのだ。パワプロ11音声登録界の白川静になる日も近いが、彼女のできる日は遠ざかった感がある。
泉まくらをめちゃめちゃ聴き出した
終わりである。彼女いない外来の医者も匙を投げるに違いない。
普段、あまり女子と関わらないというハンデを、泉まくらが書き起こす歌詞でなかったことにしようとしているあたりが深刻であるように感じる。
ただ、メロディーは格好良いし、歌詞は等身大って感じが私はするし、泉まくらはとても良い。ラップを普通の女の子がやるっていうことが非常に新鮮で、新しい世界を切り開いていってる実感がとても快い。
男子の、一日に必要な女っ気の目安があるとしたら、最近の私はその5割以上を泉まくらに占められている。さらに、最近ラブリーサマーちゃんとライムベリーにも興味を示しつつあるため、症状が悪化することはたやすく予想される。私はどこへ行きたいのだろうか?
成人男性の選曲として正当性がないことは否めない。選挙区に政党制を持ち込まない、恋の泡沫候補として女性受けは皆無そうである。
海外製のLINEスタンプを購入した
最近、LINEのスタンプの種類は多岐にわたり、公式スタンプ、クリエイターズスタンプ問わずクオリティも高いものが続々出てきている。
ただ、やはり人気のコンテンツや汎用性の高いものは、スタンプとして目にする機会が多く、それらに対し若干食傷気味であった。決して悪くはないのだけれど。
「もはや、国内スタンプで使用者の個性を出す時代は終わった」と感じた私は、テキトーに検索して台湾とタイのクリエイターが作った(であろう)スタンプをそれぞれ購入した。それが以下の二つ。
どちらも、何が書いてあるかイマイチよくわからないので、相手はスタンプを文脈と雰囲気で理解するしかない。
台湾版の方は、さすがは漢字圏といった感じで、まだ理解できなくもない(気がする)。ただ、タイ版の方は本当にわからない。けれど、女の子の可愛さが若干粗削りなところが良い。周りで使ってる人を見たことないし。
親しい人にはちょいちょい送り付けているので、各個の言語教育に生かしてもらえれば幸甚の極みである。ただ、アニメ調スタンプという点で、女性の評価はガタ落ちなのではないだろうか。
冬は人恋しい時期である。もの悲しさも、寒さが一層助長する。
クリスマスリースという言葉にクリスマス時期のレンタル彼女を連想する私は、一足お先に夏を追いかけようと思う。
せめて夏のような、あの健康的で爽やかな気分になるために、シュガーベイブリスペクトのこの曲で冬を乗り切ろうと思う。皆様も健やかに年末を乗り切らんことを。
【ゲーム】パワプロ11、能力値にストーリー
最近、何度目かのパワプロ11熱が再熱している。(粘り打ち)
11の発売は2004年で、それからかれこれ13年は経過しているのだが、サクサクと打ちやすいミートシステムや、見知った選手だらけのセ・パ両リーグの登録選手などが魅力的で、今も現役で稼働中である。
据え置きゲームのソフトから始まり、今やアプリゲームとしても遊ばれている「実況パワフルプロ野球」。通称・パワプロ。
長く愛される所以は様々あるが、その良さの一つとして、プロ野球選手の技術や身体能力を、数字とアルファベットで分かりやすく数値化していることが挙げられる。
例えば、野手の場合は5ツールで評価されるため、選手としての総合力がパッと見で分かる。また、他選手と比較する場合も、能力の優劣がA~Gで判断できるため*1に、適材適所の起用や戦術立案が行いやすい。(チームプレイ○)
さて、今回のテーマはズバリ、その能力値についてだ。
野手の能力値の場合、アルファベットでの評価項目は6つ。そのうちの1つのエラー回避率に関しては、パワプロ11ではスタメン画面等で目視できないので今回は流してカウントしない。(流し打ち)
そのため、ミート、パワー、走力、肩力、守備力、の5つが各選手の能力値として設定されているわけなのだが、それなりにプレイしていると、セ・パの代表選手の能力くらいはスラスラと言えるようになっているし、好みの能力値の選手、というのも見つかってくる。
ここまで長くなったが(スロースターター)、今回は好みの能力値の選手を好き勝手に羅列し、言いたいことを言おうと思う。また、特殊能力についてはめんどうなのですっ飛ばします(逃げ球)
※各選手の能力値などのデータは、コナミデジタルエンタテイメントに帰属します
柴原洋(ダイエー)
B D B B B
ホークス2008 柴原逆転サヨナラ3ランHRDate 2008 03 20)
ドミンゴを粉砕したことで名を上げた選手だが、もちろん彼はその前からも優秀な選手であった。
なんという美しい能力値であろうか。深紅のBたちが並ぶ姿は壮観ですらあり、我々の入り込む余地がないかのような整然さを保っている。
そして、隙が無いように見えて、前年の本塁打数4という成績が控えめなパワーDに繋がっており、親しみやすさをも感じる並び。そこには、計算高いあざとさのようなものが見え隠れしている。
まるでグッドデザイン賞をも視野に入れたかのような、完成度の高い能力値に仕上がっており、言わずもがな攻守において使用感も優秀であるといえる。
的山哲也(近鉄)
F D E B E
ローズ、中村紀洋の並びが華やかな「いてまえ打線」において、少し地味ながらも堅実に正捕手の座を守った的山。地味ながらも、押さえるべきところはきちんと押さえた能力値であるところは、いぶし銀の8番バッターという表現がピッタリである。
ミート、走力、そして守備力においては華やかさは見られない。色合いも地味である。しかし、パワーがDである点が、彼の持つ打撃での意外性を表していてシブい。
そして、なんといっても強肩さが光る肩力Bの数値。まるで鉄のように無骨な能力値に鮮やかに添えられた朱色のBこそ、彼の捕手としての誇りであり、いてまえ打線に名を連ねた男の生き様を感じさせるような気がしてならないのだ。
鳥谷敬(阪神)
F D B B E
生え抜きとして2000本安打を達成し、今や阪神の主力選手として内野陣の象徴といえる鳥谷も、2004年にはルーキーとして参戦となった。
粗削りながらも、確かな実力と期待を感じさせる能力値。そこに並んでいる2つのBの並びには、隠すことのできないきらびやかな未来が詰まっているのだ。
ミートと守備力の査定は低いものの、走力と肩の力はお墨付き。颯爽とグラウンドに現れる姿が容易に想像できる若武者ぶりは、10数年後の彼が成し遂げる大台を予想していたかのようである。
ちなみに、彼と定位置を争った藤本敦士の能力は C E C E C と、これまた味のある内野手ぶりを表す並びとなっており、切磋琢磨のなかで鳥谷が伸びていった環境をも窺い知ることができる。
坪井智哉(日本ハム)
B D C F E
イチローと前田智徳を足して2で割ったような天才肌のバッター。
応援歌前には、彼の経歴を前口上とするのがお約束であった。
守備能力に関しては秀でているとはいえないが、ミートB、パワーD、走力Cという並びが、彼が「バットで飯を食っている」ことを表しているかのようで格好良い。
先頭バッターとしての最低限の足の速さはもちろんのこと、それをミートが上回るというのは、いかに彼を打ち取ることが、また打者として打席に迎えることが厄介であるかを物語る。
ともすると、攻守でメリハリが効いているとも言えなくもない、どことなく懐かしいパ・リーグの雰囲気を感じさせてくれる、素敵な能力値であることは間違いない。
以上で、抽象論のお時間は終わりである。
実際の選手能力を的確に表してんだかそうでないんだが、能力査定に賛否両論はあるだろうが、アルファベットの並びだけでもそれなりに、選手へ思いをはせることはできるものである。
今年もそろそろ終わりを迎えようとしているが、また来年もパワプロ11をやることで、今は引退した選手・衰えた選手の当時の輝きを、当時のままに感じることができる。それはある意味、幸せなことなのかもしれない。
そんな思いを乗せつつ、本記事はゲームセットである。また次の記事で。(サヨナラ男)
*1:作品によってはAの上であるSも存在する
【アニメ】「クジラの子らは砂上に歌う」7話までの、死に対する雑感
以前から、興味はあれどなかなか触れることのなかった漫画作品「クジラの子らは砂上に歌う」(略称はクジ砂)。
この度のアニメ化が触れる好機ということで、現在視聴中である。
事前情報0で見始めたので、最初は「異世界ほのぼの冒険譚」だと高を括っていたのだが、開始3話目で簒奪者による大殺戮が勃発してしまい、今は非常に緊張感に包まれながら視聴を続けている格好だ。TOFのトーティス村かと思った。
そして、ざっくりとした本作の特徴として私が思うことは主に二つある。というより、相反する二つの要素が物語を盛り上げ、独特の世界観を確立させているように感じている。
それは、
・砂上の楼閣のような儚さを感じる柔らかくも優しい輪郭のキャラクター達
・唐突に訪れるキャラ達の苛烈な死の数々
というものだ。
各登場人物が持つどこかふんわりとした雰囲気は、砂を中心とした世界観にぴったりとマッチし、異世界譚としての物語を盛り立てている。また、そのような雰囲気の中に死が纏う緊張感が常に張りつめている作品だからこそ、視聴者は1つ1つの展開に目が離せないし、その先に待ち受けるであろう結末にやきもきし、キャラクターの揺れ動く心情に共感しやすくなる。
個人的にはBSでZガンダムの再放送を同時並行で追っているのだが、「次に誰が死ぬのだろう?」と視聴者に思わせる点で、両者は似ていると言わざるを得ない。
そんなクジ砂では、7話での間にもたくさんのキャラが命を落としていった。
そこで今回は、そんなキャラクター達の死を弔っていくとともに、各キャラの散華がどういって意味を持つのかを好き勝手 でっち上げ 考察していこうと思う。
サミ
主人公の幼馴染であり、互いに好意を抱きつつもなかなか素直になり切れないという、甘酸っぱい関係でもある。
彼女は、アニメ版第2話にて、帝国の襲撃によってあっけなく命を落としてしまう。
どこか頼りない主人公・チャクロを一気に戦いの舞台へと誘うには、近しい存在の悲劇的な死が必要であったのだろう。これにより、特殊な能力であるサイミアの使い手としては落第寸前だったチャクロは、その力を敵との命の駆け引きに使わざるを得なくなってしまった。
平和に暮らしていたチャクロの生活が、サミの死で一気に崩れ去る。敵の急襲の峻烈さ、物語が進んでいく大きなうねり、そのような大きな要素をも包含した「ヒロインの死」を、サミが体現した恰好というように思える。
視聴者をも一気に戦場の空気へと引き込む、衝撃的なこと切れであったことは間違いない。
また、死してなお彼女の存在が物語に生き続けることは間違いなく、チャクロの成長に何らかの影響を与えることだろう。SHINJOの引退宣言みたいなもんすね。合掌。
アイジロ、ブキ
オウニやニビらの仲良しグループ「体内モグラ」の一員。サミと同じく、敵の襲来により3話にて絶命した。アイジロはモサモサでブキはツルッツル。
彼らの死は、スオウの外への憧れであるとか戦いの意思をハッキリと示させ、チャクロの場合と同じくスオウを戦わせる理由として不可避のものであったと思われる。
また、敵側の無慈悲さや強力さを感じさせる、それを打ち払うスオウの強さを際立たせる、というような効果もあった。モブとしての役割を彼らは十二分に全うしたと言え、賛辞を贈られるべきであろう。
ちなみに、ブキが槍とともに壁に突き刺されてしまったシーンは、寄生獣での後藤のヤクザ事務所襲撃シーンを彷彿とさせ、やられ役としての無力なモブゆえの寂しさを感じずにはいられない。
また、アイジロがニビに制止されながらも武器を持って襲い掛かり、あっけなく返り討ちにされるシーンはモブとして王道を走り切った死に様といえ、「見てこいカルロ」案件として、評価され続けてほしいものである。合掌。
タイシャ
チャクロたちの住む「泥クジラ」の市長であり優しい御母堂的な存在だったが、3話の帝国襲撃の際にあっけなく散ってしまった。
彼女の死は、人々を包み込む優しさが暴力で踏みにじられる不条理さを表している。
彼女の後を継いで市長に就任したスオウは、これまた優しい心の持ち主なのだが、力で人々の営みが踏みにじられることに耐え兼ね、帝国と戦うことを決意する。
すっごく雑に言ってしまうと、北斗の拳に出てくる善良なじいさん(拳王軍に虐げられてる)的な存在と言えるのだが、戦場に赴くことに怒りは十分な理由になるという、優しい人間が心底怒ることまでもを許容するような、まさにタイシャ自身の慈愛を体現するかのような、儚い死亡シーンであったように思える。合掌。
ハクジ
いつか来る帝国の襲撃を知っておきながら、それを他言せず、泥クジラを砂中に沈め集団自決しようともした長老会の重鎮。
もちろん、それは理由があってのことだったのだが、結果として彼の方針は人々に反対され、彼は自らのこれまでの考え方に苦悩することとなった。
ただ、彼は悪人ではなかった。そのため、最後は戦いの中で子供たちを敵から庇ってこと切れた。
正直、泥クジラを沈めようとした後にも生き残っていたため浮いていた感は否めず、最後に与えられた見せ場を全うしたという印象である。
しかし最後は未来ある子供たちを守るために、そして不器用な生き方を清算するために彼は散ったのだ。Vガンでのリーンホース特攻を思い出さずにはいられない。合掌。
トクサ
スキロス特攻隊のリーダー。人を褒めるときに頭を撫でるクセがありキャラは立っていたが、伏せられていた敵の攻撃を受けてしまった。
彼の死は、小国の奇襲を受け止める帝国の巧みさ、戦場における素人の戦いがいかに難しいものかを引き立てた。08小隊だったら何とかなっただろうけど、「全員無事で」的なセリフを強調しすぎたことがアダとなってしまった。合掌。
以上で雑感綴り終わり。人死にすぎである。
こんな感じで、スピード感を持って進んでいくクジ砂からは目が離せないが、一方で砂時計のように儚く過ぎ去っていくキャラ達の死を、どこかで覚えていてほしい。
これ以上、戦場における手合わせが合掌につながるのはあまりにも寂しすぎる・・・・。
【生活】パソコン買い替えで動き出す五指
パソコンが壊れかけたのはいつのことだったろう。
気が付けば、その時から1か月くらいが経過していたようである。
その間にもたくさんの出来事が起きた。
特に日本シリーズでの、DeNaとソフトバンクとの激闘なんかは印象に残っているし、実際に第一戦は福岡へと観戦に出かけたため思い入れもひとしおである。
福岡へと向かうまでの間、優勝した1998年から今年までの横浜を支えた「報われるべき男たち」的な記事をスマホでポチポチと更新しようとも考えたのだが、どうもスマホだと気分が乗らずにあえなく断念していた。ホセロよ、許してね。
なんというか、スマホでの文章入力というとどうしてもちんまりとしてしまって、熱量が思うように文字に入っていかない気がするのである。
フリック入力がどうとかでなく、「やっぱり私は我流でバッサバサとキーボードを叩くのが向いているのだな」と、改めて気が付かされた気もする。
素人が好き勝手に書き連ねる当ブログにおいて、せめて熱量だけは大事にして対象に向き合っていたい。例えるならば、黒撰高校の村中魁ばりに五指に力を入れて弾き出した記事を、白装束に身を包んだ水垢離済みの読者諸兄に見極めて頂いて、そこで初めて自己満足が完結するという感じだ。
そんなこんなで、日曜のこの時間にのんびりと相撲を流し見しつつ、BGMはKaiser Chiefsをかけながらブログを綴るに至っている。
また明日から仕事の日々が始まるが、その前に貴重な自己表現ツールが一つ復活をしたことは嬉しい。
明日から待ち受ける、数多くの良い日も悪い日ものんびり生きていく。そんな当たり前の意思表示を久々の投稿に代えて。
【生活】雨のハロウィンに似合うコスプレ考
雨が夏を連れ去って行った。
先週の後半になって、天気が崩れたかと思えば一気に気温が下がり、日本列島は完全に秋へとシフトした。ともすると、そのまま冬になってしまうかのような、急行列車のような温度変化である。
さて、そんな秋を迎えつつある日本ではハロウィン商戦が熱を帯びている。
灯りを孕んだカボチャが秋らしさを演出し、お菓子たちが色とりどりのリースに囲まれている様は、さながらクリスマスの前哨戦といった様相である。
お菓子が好きな自分は、子供時代にハロウィンでお菓子を回収した経験がないことがとても残念であるが、一方でこの時期に仮装を楽しんだこともない。
そう、ある程度年齢を重ねると、人々の興味はなぜかお菓子から仮装の方へと移っていくらしいのだ。
ハロウィンの仮装といえば、日本では渋谷の賑わいが思い出されるだろう。
10月31日の渋谷の街には、思い思いの衣装に身を包んだお菓子難民たちが大量に出現する。彼らの多くは広告会社社員並みのユーモアを持ち合わせていることが多いので、決して尖りすぎない華を意識した仮装で人々(というかメディアの取れ高)を満足させてくれるのだ。あとは、なぜか女子の間でゾンビメイクや負傷メイクが流行っているらしい。おそらく、人食いドラゴンとかハンニバル・レクター対策だろう。最近物騒だもんね(食べても美味しくないことを示す警告色的なテクニックである)。
そんな、仮装に対する下層からのイジりは置いといて、私には「雨の日のハロウィンってみんなどんな感じなのだろう?」という疑問が生じた。こうも雨が多い時期であるので、雨天では仮装をする人々も大変だろうし、せっかくならば雨を味方につけられるコスプレをした方が憂鬱も吹き飛ぶはずである。
ということで今回は、雨のハロウィンに似合うであろうコスプレをいくつか挙げて、好き勝手言いたいこと言おうと思う。
「雨は毛布のように」のPVに出てた川口さん
毛布を操り、素敵なダンスを繰り出してくれる川口維さん。そんな素敵な方を、毛布とワンピースがあれば(格好は)真似できてしまうという手軽さ。時短時代にはうってつけのコスプレである。
独特のダンス表現を磨き、知り合いの兄弟ミュージシャンを連れ出せればなお良し。あと、間違っても無音のなかで踊ってはいけない。なぜなら、タイガーステップを繰り出すザコシショウの動画と完全に一致してしまう恐れがあるからだ。気を付けよう。
「雨に唄えば」の時のジーン・ケリー
「雨に唄えば」は、言わずと知れた名作ミュージカル映画である。またその劇中で、ジーン・ケリーが雨中で踊りだすシーンといえば、これまた世界的に有名だ。
ハットを被り、トラッドなスーツに身を包んだら、傘を開くことなく雨の渋谷へ。雨をものともせずに華麗にステップを踏む様はまさに爽快であろう。また、当日には警察官も複数動員されているため、動画最後のオチまで綺麗に再現できること請け合い。他人への迷惑を避けることと、公務執行妨害に気を付ければ楽しめること間違いなし。
高橋留美子作品のパンダ
「ああ、この人中国で泉に落ちたんだな」と一発で伝わる便利さ。ちゃっかり、今年生まれた上野のパンダにも便乗でき、時流への対応力も見せつけられる。泉の解説をしてくれる中国人を連れ出せればなおのこと良い。
自宅で諸葛亮のコスプレをしながら読書
劉備の元へと参じるまでは、晴れては田を耕し、雨が降りては本を読む生活をしていた諸葛亮。そんな、草庵時代の諸葛亮を忠実に再現できるコスプレ表現である。
雨が降っているので、31日はおうちで読書。騒乱は外の者に任せよう。もちろん、知人からの三顧の礼があるまでは外に出ないのが望ましく、また純朴な弟が家にいるとことさら良い。本当の龍は渋谷には姿を現さない、そんな武骨な人にこそおススメしたい骨太なコスプレだ。水鏡先生もびっくりな酔狂ぶりである。
以上で、コスプレ考は一旦おしまい。
最後に一つ言っておくと、私は10月31日を渋谷で仮装して過ごす人が嫌いというわけではない。ただ、なかには「それなら普通に楽しんだ方が良いのでは?」と思うような、とってつけたコスプレをしている人がいるのも事実だ。そういう人を見ると、少し首を傾げたくなる。
せっかく仮装で自己表現するんなら、変でも上記に挙げたくらい構想にこだわりたいと思うのである。そこには確かに「その人」が存在しているはずなのだ。着飾るとはそういうことだと思う。
仮装への構想がなかなかに長くなってしまった。
ただ、このごちゃごちゃ感。人生はいつだってスクランブルなのだ。