自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【生活】霞食べ平民と近況報告

自分が最近思ったことを交えた近況報告。

 

日々書きたいことは色々と出てくるが、それらがなかなか満足するボリュームにならない。自分の浅さを痛感する次第である。

最近は、文章をブログに書き出すことからも離れていたため、ゆるやかに自分の思いや意見を振り返る機会として、雑多に書き出そうと思う。

 

最近、久しく会ってなかった大学の同期の友達と先輩に顔を合わせる機会があった。嬉しいことである。

同期の子も先輩も物を収拾するタイプで、秋葉原で集まった際には、まんだらけだったり駿河屋だったりに足を運んで、世間話をしながらフィギュアなどを見て回る。

この時間が私は好きなのだが、自分自身では物を買ったりはしない。あくまで、付き添いといった感じで、名使用人かの如くの付かず離れずアクションを披露している(つもり)。

そこで思ったのは、「私は何の趣味にお金を使っているのか?」ということだった。

 

自分自身で答えは分かっていて、それは「食べ物」である。

食べ歩きとまでは動き回らないが、ちょいちょい行きつけのお店や気になるお店に足を運び、様々な食べ物の登場には目を爛々とさせて、自分のペースで余すことなく食事を楽しむ。一見すると素敵な時間である。

ただ、私が同期の子や先輩と比べてしまったのは、「モノ」として残るかそうでないかという点だった。なぜなら、物は収拾された後には、飾られ、使われなどして残るのに対し、食べ物は食べてしまったら終わりであるからだ。

 

もちろん、「食べ物はあなたの血肉となっているのだから、あなたとして立派に残っている」という考え方は出来る。ただ、私の場合はきっと、素敵に過ごした時間に食べた食べ物たちは血肉を通り越して、明日への頑張りとか夢見る気持ちへと変化していると思うのだ。実際、「また次も、こんなに素敵な時間を過ごしたい!」と感激し、単調なお仕事も乗り越えられているように感じている。つまり、「概念」というか「目に見えないし、存在するかも分からないエネルギー」に変貌しているのであった。

結末はハッピーエンドとも食べ物のろけ話とも取れるだろう。結果気が付いたことは、「私って霞食って生きながらえているよね」ということだった。仙人の出来上がりである。

余談ではあるが、「目に見えないエネルギー」だけでは飽き足らない私は、音に気を配りつつも、素敵な食べ物の写真を撮りまくり「モノ」としての存在価値をも見出している。星新一のSSに出てきたら、一発で夢の中で押しつぶされそうな如き欲深。リコール対象の仙人の出来上がりである。

 

☆☆

一昨日、鳥居みゆき著の「夜にはずっと深い夜を」を読了した。

どこかブラックでネジが外れてはいるものの、現実という世界でかろうじて人間として生きている人物がたくさん出てくる不思議な短編集。毎回、必ず寝る前にその世界に触れた。

こういう少しブラックな雰囲気が続く本を読んだ経験は浅かったので、雑に言うと「ヤベーやくしまるひろこの世界観」という感想なのだが、特に私はまえがきとあとがきの文章がとても印象深かった。

本当か嘘かは分からない、それでいて妙に地に足が付いている短文。「これこそが、鳥居みゆきの想像の世界の幅なのでは」と唸ってしまう、ふわりとした離陸と着地を味わえる。引用なんていうケチなことはしないので、ぜひ一見していただきたいと思う。

 

☆☆☆

昨日、1本満足バーを買った。

もちろん、食べる前にはCMみたく踊ってから食べた。それがとても楽しいのだ。

久々のブログ記事も書き終え、まさに「1本」で満足なのだ。そんな近況。

【生活】今まで提唱した「○○、SASUKE説」を羅列

水曜日のダウンタウン」が人気になって久しい。

私自身は、「タージンちくわぶ、関西と関東で知名度真逆説」しか見たことないが(ちょうどタージンさんが出稼ぎ来てたくらいの頃かな)、かなり挑戦に意欲的な内容という印象だ。一般大衆にはもちろん、うるさ型のハガキ職人などの方々にもウケる実力を持った良い番組であると思う。

 

さて、そんな「水曜日のダウンタウン」で「金田一のトリック アクロバティックすぎてほぼSASUKE説」という一説が提唱されていたのをご存じだろうか?

かくいう私は最近知ったのだが、これが全くの不覚であった。

というのも、以前からTwitter上でちょくちょく「○○、SASUKE説」というのを提唱しているのだが、その1番古いものが水曜日のダウンタウンでのSASUKE説オンエア日よりも新しかったからなのだ。知らなかったんだよぉ・・・・。(CV.真柴真利)

 

しかし、自信を持って言えるのは、水曜日のダウンタウンよりも多くのSASUKE説を提唱していることである。これに関しては断言できる。

ということで今回は、正直全くバズっていないSASUKE説をサルベージし、皆さんのお目にかけると共に、過剰な手前味噌も含めて好き勝手言いたいことを言おうと思う。

 

就活、SASUKE説

就活、SASUKE説
・3rdの次がファイナル
・多くの人が落ちる
・黒スーツの集団(黒虎)
・第一志望の思いをぶつける(SASUKEしかないんですよ…)
・靴にうるさい」

 

記念すべき第一説目は、非常にコンパクトにまとまっている。

厳密にツッコむと、決して黒虎は黒スーツを着ない集団なのだが、それを言ってはこの説は全部オシャカになってしまう。靴の営業・漆原や山田勝己の足袋騒動を連想させるオチが付いている点は良い。

 

新社会人SASUKE説

新社会人SASUKE説
・1年目はミスも多いが、比較的責任は軽い→1stステージは、脱落者・クリア者共に多い
・1年目に壁は付き物。乗り越えられないと、辞める人もいる→そり立つ壁
・先輩が背中を押してくれる→オールスターズの儀式
・アジア人留学生→リー・エンチ
・靴にうるさい」

就活→入社という華麗なコンボを見せつけた二説目。個人的にはリー・エンチの下りをやりたかっただけである。ちゃっかり二連続靴オチ。

 

通勤電車SASUKE説

通勤電車SASUKE説
女性専用車両KUNOICHI
・つり革をつかめずに走行時の衝撃をモロに受ける→メタルスピン
・乳酸地獄
・降り口は右側です→3rdステージ
・落し物、お忘れ物にご注意ください→山本進悟は帽子を毎回落とす
・緑(のマークの)山(手線)」

就活→入社→通勤という、社会人生活との抜群の相性を見せつけるSASUKE。ちょっとしたプロレタリア文学である。

KUNOICHIというふわっとしたボケから入り、オールスターズの皆勤賞である山本を押さえるという渋さも見せつけた三説目。オチが、ご存じSASUKEの聖地・緑山という点にも注目である。

 

ハリウッドSASUKE説

ハリウッドSASUKE説

スパイダーマン→スパイダーウォークやジャンピングスパイダーのオマージュ
市民ケーン→SASUKEはとっくに市民権を得ている
雨に唄えば→SASUKEの出演者もだいたい濡れてる
スピルバーグ→リーヴァイ・ミューエンバーグ
・セット制作にうるさい」

四説目は、就労の枠を飛び越えて海外へ。フツーにアメリカでは「Ninja Warrior」という名前でSASUKEが親しまれているので、若干間違いではない説なのかもしれない。

海外勢・リーヴァイの名前でだいぶ文字数を消費したため、説自体のボリュームは控え目であると言える。ちなみに、一番言いたかったのは市民ケーンの下り。

 

けいおん!SASUKE説

けいおん!SASUKE説

・どちらもTBS系列
・バンドメンバーが全員女の子→SASUKEオールスターズは全員男の子であり、彼らのパラレルワールドを表現している
・本番前によく合宿をしている
・君を見てると いつもハートドキドキ→たこ店長の五段跳び
・毛ガニの秋山(澪)」

「とんでもない説を発見したぞ!」と意気揚々と提唱した五説目は、なんと深夜アニメコラボである。

全体を通して見ると、「・本番前によく合宿をしている」という一文はシンプルでありながら鋭いように思えるが、苦しい感が否めない一説と言えるのではなかろうか。

澪ちゃんが、苗字が秋山というだけでオチに使われてしまったと思うと、我ながら少し不憫でもある。

 

石田三成SASUKE説

石田三成SASUKE説
・三献茶→SASUKEも1stから3rdにかけて、徐々に熱くなっていく
五奉行(六人の説もある)→SASUKEオールスターズ(ひろみちお兄さんを加えた7人の説もある)
忍城への水攻め→鋼鉄の魔城も水を湛えている
・SAKICHI」

SASUKEが繋ぐのは、人々の縁や想い、そして異文化圏の人との絆だけではなく過去の偉人も対象なのだという可能性を示す六説目。

しかし、三献茶のくだりはお気に入りなのだが、オチがSAKICHIという体たらくぶりで、製作者のやっつけ感が窺える。

あと、のぼうの城」読了直後だというのも一発でバレそうな出来上がりである。面白かったけど。

 

初代ポケモンSASUKE説

初代ポケモンSASUKE説
・りかけいのおとこ→サスケ君は理系
・おしてみよう ポチッとな!→ステージクリアに必要
・ひこうタイプ→川口は昔、非行タイプだった
・サファリパーク→SASUKEPARK
・あ!やせいの…→野生バレエダンサー
・(おつき)緑山」

前回の体たらくぶりを払拭するかのような、ボリューミーで練られた感のある七説目。

「おしてみよう ポチッとな!」のくだりも好きだが、オチの「(おつき)緑山」という一言の、強引且つ繊細な締め方も魅力。

それと、昔少しやんちゃだった川口をやんわりといじっているが、彼は親孝行だし好青年でもあるので、「非行タイプ」は言い過ぎでした。ごめんなさい。

そういう意味では、彼はちゃんと進化して世に羽ばたいた、立派な「飛行タイプ」であったと言えよう。あと、野生バレエダンサーはその字面と存在が好き

 

けものフレンズSASUKE説

けものフレンズSASUKE説
ジャパリパーク→SASUKEパーク
・ジャンプ力ぅ…ですかね→ジャンプハング
・フレンズなんだね!→出場者は皆、SASUKE啓蒙のフレンズ
・サー(ド進出目指し頑)張る(黒)虎」

流行りに乗っかりバズると思いきや大コケで終わった八説目。欲を言えば、「比嘉さん(SASUKEパークの職員さん)」の名も挙げたかった。

ちゃんとOPの要素も取り入れており(はてなブログなので泣く泣くカット)、SASUKE啓蒙のフレンズというワードも織り交ぜたのだが、サーバルのところでカッコの入れ方をミスったので詰めの甘さが露呈している。虎じゃあないもんね。

 

 

以上が、私がこれまで提唱したインチキSASUKE説の全てであり、八説目が現時点では最新の説である。

そして、今後は更に説の追求を行うと共に、SASUKEに注視し愛を持って見守って行こうと思う。

ただ改めて思うと、もしもSASUKE学会に身を置いてたら、即刻除籍処分だろうな・・・・。

【音楽】マンションに思うこと、そこで聴きたい曲

夜の退勤電車。

周囲の暗さはすっかりと人々の顔に張り付き、気付くまいとしている疲れの意識を、車内の圧迫感が押し付けるかのように実感させてくる。

体力を減らしながら電車に揺られるという義務を果たした私は、目的の駅に着くとほうぼうの体で電車と決別をし、救いでも求めるかのようにふと川の方に視線を向ける。するといつも、川沿いに建てられたマンションに灯る明かりが、さながら蜃気楼のように目に飛び込んでくる。私はこの景色を見るのが好きだ。

 

内部が見えるわけではない各部屋に、白系や橙系の照明が灯る。あるいは、家主の帰りを待つ真っ暗な部屋もある。

どの部屋でも、異なる人間がそれぞれの時間を過ごしているであろう光景を第三者として眺めるとき、私はそこに数多のパラレルワールドの存在を感じずにいられない。

各個の選択の結果がマンションの光景に現れ、静かな川の流れは止めどない時間の経過を連想させる。そして、それをぼぅっと眺めている瞬間だけ、疲れが私の身体をふんわりと包み、空想と同化させてくれる気がするのだ。人々の選択の連続が世界を造るその一瞬で、唐突に殴られるのが好きともいえる。疲れ切ったサラリーマンには、それに抗う気力などはないのだが、明日もちょっとだけ頑張って行こうと思える景色が私は好きなのだ。

 

今回は、そんなマンションの一室で聴きたいと思ってる楽曲たちを挙げて、言いたいことを言っていく。

 

家々~撰ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり/nobodyknows+

www.sonymusic.co.jp

ココロオドル」で名を馳せたヒップホップグループが紡いだ一曲。

なんとも独特な雰囲気の曲だが、なぜか初めて聴いた時からずっと「マンションの一室感」を覚えていた。どことなく溢れてくる生活感というか、都市での生活を思わず想起してしまうような魅力があり、心なしかタイトルもマンションとリンクしているような気がするからだ。それでいて、マンションの建造物としての無機質な冷たい感じもよく表現されている気もしてならない。

彼らのちょっと変わり種な一曲は、マンション生活者の等身大の姿を映し出しているのかもしれない。

 

Ryuusei/TiA


Naruto- Ryuusei

NARUTOのエンディングとして起用された一曲。エンディング映像からはアニメーターの本気が垣間見えるのが嬉しい。

曲自体は大変に落ち着いたポップサウンドで、夜にうってつけな曲調である。

マンションの一室から外の夜景を見る瞬間、その日の疲れを癒してくれるような良質なサウンドであると思う。

なんともオシャレな高層マンションでこの曲をかけて、何か冷たいお酒でも頂きながら、流星が堕ちた後もきらめいているような明かりたちを眺めたいものである。そして、それを決して邪魔しないような気の利いた清廉さがこの曲には確かにある。

 

Beautiful World/宇多田ヒカル


宇多田光 Utada Hikaru - Beautiful World. Heart Station. 480p

こちらは、劇場版エヴァンゲリオンの主題歌として有名な一曲。

宇多田ヒカルのクリアな歌声が生きた、オシャレな名曲であることは間違いないが、どことなくはかなさを感じる。

「Beautiful World」という、正に人間が生み出したマンションという幻想郷が持つ人工物としての脆さやはかなさが、曲から浮かび上がるような錯覚に陥ってしまう。マンションの美しさが持つ意味を考えさせてくれる、含蓄に満ちた一曲であると言えよう。スリードも甚だしいね。

 

Melting point/capsule


Melting point

マンションとは、一見集合体であるようで、実際にはそれぞれの居住空間がはっきりと独立している。そして、そこには周囲から解き放たれたそれぞれの安らぎの空間が存在しているのだ。安らぎを感じられることこそ、「家」の持つ本質ではないだろうか。

落ち着いたピアノが奏でるこの曲こそ、そのような本質をマンションの一室でも強く思い出させてくれる気がする。決して、オシャレピアノ曲なら何でも合うんじゃねぇか?とか言ってはいけない

 

以上で、雑ではあるが言いたいことは終了である。

マンションではなく一軒家にて書き連ねた文章なので、至らない点も多々あると思うが、そこはそれぞれの管理人さんに相談してください。我が家に自治会はないため、自(ら)治(る)可能性は極めて低い・・・・。

【サッカー】日豪戦と、私がサッカルーズを好きな理由

 

私は、サッカーのオーストラリア代表が好きだ。

勿論、日本代表のことが好きじゃないわけではなく、ただ圧倒的にオーストラリア代表を好きな気持ちが上回っているだけである。

そんな私は、例えばジェディナクがPKを決めれば喜び、レッキーがガンガンに攻めあがっていくのを見れば興奮するわけで、31日の日本戦もテレビで観戦をした。

 

当初、両チームの実力は互角だと言われ、期待されたのは拮抗した試合展開であったろう。

また、(特にアジア圏内で)フィジカルを押し出したサッカーをするオーストラリアが、今までのスタイルを変え、ポゼッションを重視した試合運びをする点も注目されていた。

しかし、蓋を開けてみれば、細かいボールタッチであったり連携は日本の方が優れており、その点オーストラリアには粗さが目立ったように思える。そこは残念でならない。

ということで今回は、先日のW杯アジア最終予選、日本対豪州戦をテキトーに振り返りつつ、私がサッカーオーストラリア代表(愛称・サッカルーズ)を好きな理由を懇々と語ります。

 

日豪戦ハイライト

冒頭では、「サッカーの英知を授けられた筆者が、鋭く日豪戦を斬る」的な匂わせ文を書いてしまったわけだが、私はサッカーの細かい戦術論は一切わからない。

また、野球をずっと観戦してきたせいなのか、全体での各選手の動きを捉えるのが苦手である。そのため、90分を通しての各選手の動きの良し悪しなどもよく分からない。視野が狭いのである。いわば、知識がクリーンシートされてる状態なのである。

そのため、振り返りがイメージ論主体になってしまうことへの、ご理解とご協力をお願いします。

 

まずは、サッカルーズの攻撃陣を振り返る。

初めに言ってしまえば、彼らは今回見せ場を作ることができなかった。

ワントップにはロビー・クルーズ。彼は前回のW杯ではバリバリのレギュラーで、サイドアタッカーを務めていた選手。

その脇を固めたのが、今や前線の主力ともいえるマシュー・レッキーと、かつてはリバプールに所属した新進気鋭のブラッド・スミス。

2列目には名門セルティックで活躍するトリッカー、トム・ロギッチと快足が売りのジェームス・トロイージがそれぞれ布陣を敷いていた。

 

パッと彼らの名前を見るに、高さで勝負する選手が並ぶわけではなく、どちらかといえば連携で崩せる選手が多かった印象だ。

本来ならばクルーズの位置に、ポストプレイも出来るトミ・ユリッチという選手が座るのだが、この日は負傷のために後半からの出場となる。

 

攻撃陣の、「パスでつないでいく」という意識は確かに感じられた。それは、これまでの「バッスバスとロングボールを前線に放り込み、高さでゴリ押す」スタイルとの決別を意味しており、ポステコグルー監督がコンフェデ杯で戦術としての自信を高めてきた証でもあった。

ただ、今回の試合ではその良さは出ず、攻めの決め手を欠いていたという様が見て取れた。

 

例えば、後半にユリッチとケーヒルを投入した直後のCKの場面で、サッカルーズがグラウンダーのクロスを選択したことには疑問が残る。

チームの意図を汲み取ったキッカーの判断かは不明だが、一定のポゼッションを保ちつつ、ゴール前では高さを見せても良かったのではと思うのだ。

少なくともあの場面では、フワリと上がるクロスで勝負しても良かったのではないかと感じたのだ。乱戦でこぼれたボールをミドルで突き刺せる選手もいたはずである。

また、相手陣地へ攻め込んでからのボール交換やドリブルなども、タイミングが合わなかったり、一旦ボールを下げてしまったりと、ゴールを脅かすにはなかなか至れなかった。

そういう点では、日本の素晴らしいクロスとDF陣を出し抜くスピードとを活かされた1点目と、中央にドリブルで切り込んで決められた2点目などは、まさにサッカルーズが理想とするゴールの形を体現していたように思える。

 

次に守備陣である。

ボランチの位置には、アジアカップで名を轟かせたマッシモ・ルオンゴと、アンダーからの代表で将来を嘱望されるジャクソン・アーヴァインとが起用され、3バックの位置には、長く代表で活躍するマーク・ミリガン、高さのあるマシュー・スピラノビッチインテルに所属経験のある守備陣のホープトレント・セインズバリーとが並んだ。

本来、ルオンゴもアーヴァインも高い位置でプレーする選手であるが、不動の中盤であるジェディナクはケガで離脱し、新星アーロン・ムーイもこの日はベンチにも姿を見せなかったため、この位置でのプレーを余儀なくされた。

 

監督の狙いを考えるに、ここは攻撃重視の布陣であったのだろうか。

ミリガンをボランチに、サイドバックにはライトやデゲネクを起用するパターンもあったはずだが、中盤からでも攻撃的にボールを供給できるフォーメーションではあったからだ。

ただ、ルオンゴもアーヴァインもまだ若く不慣れさはあっただろうし、ゲームコントロールが出来ていたようには見えなかった。

日本のスピードある攻撃陣に翻弄されてしまったというのが、正直なところなのではなかっただろうか。浅野のゴールシーンとか、アジアカップ李忠成を思い出しちゃったよ。

 

勿論、守備陣形にも革新が見られ、3バック体制もポステコグルー監督が推し進める事柄の一つだ。

攻守共々、今回は怪我人に翻弄された面もあるだろうが、若い選手が代表の舞台を経験しつつあるサッカルーズには未来があり、日本戦からは収穫と課題とをを得なくてはいけないのでは、という風に感じられた。

 

私はこうしてサッカルーズを好きになりました

私がサッカルーズを愛してやまない理由は至極単純だ。

それは、ハリー・キューウェルがこの世界で一番好きなサッカー選手であるからだ。

 


Harry Kewell Career Montage 1996 - 2014

彼は、オーストラリアサッカー界でもレジェンド中のレジェンドであり、その証拠に確か、彼の名前を冠した子供向けサッカースクールがあったりしたような気もする。

彼のプレーには何とも華があり、キレッキレのドリブル、ロングもボレーもヘッドも行けちゃうシュート力、人の良さが滲み出ている二枚目フェイス、イギリスでの確かな実績、代表に君臨し続けたカリスマ性、その全てが私を魅了した。

なので、毎年発表されるバロンドールは、私部門では永遠に1位なのである。(次点はチラベルト

そんな彼は、すでに代表も現役も引退してしまったが、彼がオーストラリア代表にいたという事実が私の中では重要で、いつしか彼だけでなく代表も応援するようになったのだ。

ちなみに、キューウェルの代表戦で印象に残る活躍は、前々回のアジアカップ準決勝のイラク戦。

両者決め手に欠けた展開で延長にまで突入し、PK戦での決着かと思われた瞬間、ブリスベンの象徴マット・マッカイが前線へとクロスを放り、それに走りこんだキューウェルが頭で流し込んで決着。

唖然とするイラクの選手たちも印象的だったが、サラッとゴールを決めて上半身のユニフォームを脱いだ彼があまりにも格好良すぎて、初めて「抱かれても良い」と思った瞬間でもあった。


Harry Kewell puts the socceroos into the semi finals of the asian cup

 

他にも、色んなルーツを持つ選手が見られるという点も、サッカルーズを好きな理由である。

さすがは移民国家のオーストラリアと言えるが、実に多彩なルーツを持ちながら、代表にいる選手が多い。かつてはアボリジニをルーツに持つ選手もいたっけ。

例えば、かつての守護神シュウォーツァーはドイツ系だし、ドイツ杯で日本相手にゴールを決めたアロイージはイタリア系、現役代表のケーヒルサモアにルーツを持っているなどなど。

日本にもそういう選手はいるだろうが、オーストラリアはその比ではなく多い。それだけ多彩な才能が集まるチームともいえ、まだ見ぬ英傑を求めて、私はサッカルーズを応援している。

 

今後も日本とは好敵手として渡り合い、互いに刺激を与えつつアジアのレベルアップに寄与できれば最高である。

第二のキューウェルが現れるその日まで、私がサッカルーズを追い続ける日々は終わらない。・・・・いや、トミー・オアはマジでどうしてるんだよ!?

【音楽】サマソニ東京1日目に行ってきました(2016,2017)

昨日、サマソニの1日目に参加するべく、海浜幕張まで足を運んだ。

出かけようかと思った矢先に、先に幕張に着いていた友人から「ごめん、チケットを置いてきた」という衝撃告白があり当日券での参戦となったが、暑さに負けずにとっても楽しむことができた。

 

ということで、今回は鉄を熱いうちに叩くがごとく、昨日の感想を適当に綴ると共に、昨年も参戦したサマソニ東京1日目の感想も合わせて お焚き上げ 載せようと思う。

QVCとZOZOとが交差する、まどろみの備忘録。

 

サマソニ2016

恥ずかしながら、私は音楽フェスは勿論のこと、音楽ライブですらなかなか行かない。

そのため、昨年のサマソニこそが音楽フェスの初陣だったのである。

お目当ては、ヘッドライナーの一角であるTHE OFFSPRINGだったが、友人の気になる会場にも足を運びつつ時間を潰すことになった。

余談だが、午前中法事だった。サマーソニックにもいろいろな形があるんだね。

 

cero

「気になるオシャレバンドがいる」との友人の一言をきっかけに、私達はガーデンステージへと向かった。

この日は雨が降っていたせいか、ガーデンステージへと続く道は泥濘の様を呈しており気分は最悪。赤壁から退却している曹操軍の気分を味わうには絶好の場所だったろう。

しかし、そんな気分を吹き飛ばすようなパフォーマンスをceroは見せてくれた。

 

海を近くに感じられるステージの上から流れてくる、ひょっとするとカリブっぽいような程良く落ち着いたサウンド。そして、それに乗って聴こえてくるゆったりとした歌声が耳に心地よい。のんびりとした土曜日の昼間を鮮やかに彩る素敵な時間がそこにはあった。また、ボーカルのどこかぎこちないMCは全く気にならず、むしろ初々しさが感じられて良かった。演奏途中には虹が顔を出すというサプライズもあり、そこにいた全員が確かに幸せに浸っていたように感じた。

一緒にいた友人は、OZROSAURUSのゴリゴリ武骨ラップを楽しんだ後だったからか、幸せそうに立ったまま寝てました。弁慶かよ。

 

・PANIC!AT THE DISCO

その後、ちょっぴり休憩をした後に、またまた友人のお眼鏡に適ったグループ、P!ATDを見に行くことに。

ライブ中、ボーカルが二度バク宙するという秋山幸二ばりの芸当を見せていたのが印象的だったが、それを抜きにしてもめちゃめちゃ格好良かった。

途中、Bohemian Rhapsodyのカバーを披露してくれて、「こんなの歌上手い人しかやらないじゃん!」と興奮し、その後見事にハマってThe Ballad Of Mona Lisaがカラオケでの持ち歌になるまでになりました。友よありがとう。

 

・PENTATONIX

オフスプを聴くときに少し良い場所にいたいね、ということでマウンテンステージ周辺をウロウロ。当時確か、PENTATONIXのperfumeカバーがちょうど流行ったタイミングだったと思う。

注目度の高さのおかげか結構人が集まっていて、私達も後ろの方で少し聴いていた。

衣装の色でキャラ分けがされているという、「それこそ若干perfumeっぽいのでは?」と感じてしまう彼らだったが、やっぱし圧巻の歌唱力でした。

失礼ながらサラッと聴くつもりだったので、途中でお手洗いに行ってしまったのだが、用を足している最中にperfumeメドレータイムに突入し最強の音姫体験が出来たのは良い思い出です。

 

THE OFFSPRING

彼らのライブを初めて見ての感想を述べるには、一個の記事を用意したいくらいに言いたいことや感じたことが山ほどある。

そのため、簡潔に述べるとすれば「来日して下さって本当にありがとうございました。一生の思い出が出来ました」。

また、別の記事で書くことにしよう。

 

サマソニ2017

2年連続参戦が決まってウキウキモードで幕張へ。

普通は、事前にお目当てのアーティストの曲を予習していくものだが、私はといえば、なぜか今更Arctic Monkeysのライブ映像を動画サイトで鬼ループし、木綿のハンカチーフをヘビーリピートするという奇行に走っていたため、今回もほぼ予備知識ゼロのまま見たいアーティストだけ挙げての参戦となった。

勿論、冒頭で述べたように当日券を買う出費はあったものの、その日を楽しめればそれは些細なことになると信じ、私は少しフライング気味にリストバンドを固く締めて、ゲートをくぐるに至った。

 

・Nakamura Emi

私は普段、松重豊のラジオを好んで聴いているのだが、そこにゲストで出るアーティストの多くが音楽フェスなどに出演しており、最近の音楽トレンドをそのラジオを通じて知っている格好になっている。

彼女もその中のゲストの一人だった。オンエア曲の「メジャーデビュー」という曲が気にかかり、くしくもサマソニ出演が決まったということでその音楽を聴きに行った。

 

とにかく、歌詞が格好良い。そして、その格好良さを増幅させる独特ながらも真っ直ぐな歌声。

舞台はガーデンステージ。去年のようにぬかるみなどは無いコンディションでほっとするのも束の間、「海浜幕張公園でセアカコケグモが発見されたので気を付けてください」という注意書きを発見。セアカ?赤…?今年も赤壁からは逃れられなかったようだ。

日差しはあるが天気はそこそこ良好だったので、屋台でちょいお高めメロンパンを買い、芝生に座ってほおばりながらのリラックス参戦。

口の中にはのほほんとした甘みが広がるなか、まず聴こえてきたのは「大人の言うことを聞け」だった。耳には苦み走った味わいある歌詞が広がるという、最高かつ甘辛な幕張の午後。やはり、なんだかんだガーデンステージは良い。

その後もメジャーな曲たちを聴かせてくれ、ラスト2曲のメジャーデビューとYAMABIKOとをぶっちぎりのパフォーマンスで走り抜けていった。

サマソニ初出演ということだったが、緊張を感じさせなくとても楽しそうに歌っていた姿が印象に残っている。本当に良いライブだった。

 

・Nulbarich

こちらもラジオで初めて知ったアーティスト。最近流行りの落ち着いたポップスが持ち味で、ガーデンステージにて鑑賞したのだが、次のエレカシとの兼ね合わせでやむなく途中離脱。

生歌でも充分に上手くて、良い意味でCD音源の雰囲気を裏切らない高い歌唱力。

ライブ前から沢山の人が集まっており、売れ筋グループとして認知されているんだなぁと感心させられた。

 

エレファントカシマシ

MCでの宮本さんの素のキャラクターを楽しみつつ、大ファンである友人の解説をちょくちょく聞きながらのライブ。どうやら、煙草をやめてから歌唱力が更に向上したらしい。

素晴らしい歌声は言うことなく、また観客への声かけが本当に前向きで、セットリストの「俺たちの明日」や「ファイティングマン」などと相まってすごく元気を貰えた。

勝手なイメージだが、「働くすべての人の味方」という感じが実感として胸にこみ上げてきた。こんなの好きになっちゃうに決まってるじゃんか。

 

東京スカパラダイスオーケストラ

在日ファンクと、まさかのジャンル&時間帯被りするという悲劇に泣いた方は多かっただろう。私達もその一人でどちらを見ようか悩んだが、結局スカパラを見ることに。

スカパラは終始ノリノリで、音が聴こえてきた瞬間には思わずプレモルを購入していたというゴキゲンぶりだった。間違いないね。

 

スカパラは予習抜きでも100%音楽を楽しめる最高のグループだと感じられたし、老若男女問わず身体が思わず動いている人が多かった印象。

エグイ雨雲をものともせずに、陽気な熱い演奏で雨を一滴も振らせなかった最高のパフォーマンスに、最後は友人と肩を組んで飛び跳ねるくらいに楽しめた。

 

・カルビン・ハリス

彼について知っていたことは、「日本で言う中田ヤスタカ的な人」という(本当に)酷くざっくりとした情報だけだった。

DJのプレイを味わうのは初めての経験で、いったいどうなるのかドキドキでもあったが、フェス用にあつらえられたドゥンドゥンサウンドのなか、マリンスタジアムのグラウンドで今年のロッテの鬱憤を晴らすがごとく飛び跳ねられた。

終わってみれば楽しいもので、「あー、来日マジ嬉ビン・ハリス。ペリー来航で開国してて良かったわ~」的なクソつまらんやり取りを友人とするくらいには楽しめました。

 

以上、長くはなったが2年分の思いを届けることができた。

フェスは意外に行ってみれば楽しいもので、勇気と興味って大事だなとも実感できる機会であった。

ただ、これに味を占めて「パンクスプリング」にも足を運ぼうとしたのだが、そっちはラップ声がめちゃめちゃいかちーZebraheadとかも出るので、絶対にガチそうなのでやめました。残念。

 

今後も、音楽との素敵な出会いの場に足を運べることを祈りつつ、今日は音のない静かな日曜日を過ごしている。これもまた良いものだ。

【音楽】キリンジの切り時が分からない

カラオケの選曲を一度もためらったことの無い人は幸せである。

 

なぜなら、そこには絶対の遂行力があるからだ。

自分の4,5分間の運命を共にする曲を決定するだけでなく、それを歌いこなし、エンディングまで持っていくという一連の流れ。キャラクター、愛嬌、アドリブ、歌唱力、時流を読む力、デンモク捌き、温度管理、タイムキープ、それら全てを駆使しなければ果たせぬ所業を前にして、多くの人は何らかの理由で、一度はためらってしまうものである。

しかし、私はそのためらいにはどこか「奥ゆかしさ」を感じずにはいられない。

 

ここでの奥ゆかしさが意味するのは、いわば「自衛手段」としてのためらいである。

例えば、見知らぬ人や会社の同僚との付き合いでのカラオケに引っ張り出された時、自分のスタンスが曲目によって決定されかねない場面で、しばしば選曲にためらいが生じることがあるだろう。また、フロント近くの部屋に通されてしまった時にも、誰に頼まれたわけでもないのに選曲を気にしてしまうこともあるかもしれない。

哀しいかなそういう時には、人々は時に美徳といわれる奥ゆかしさを武器に変え、右手にデンモクを左手にマイクを持ち戦っているのである。

激戦を潜り抜けた、軍人・山本五十六の名言を借りれば、

 

苦しいこともあるだろう

云い度いこともあるだろう

不満なこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう

門脇舞以カバーのPretty Flyが歌い度いこともあるだろう

これらをじつとこらえてゆくのが大人のカラオケである

 

ということになる(?)

 

ためらいの中で人は、善悪の基準がしばしばフラットになり、正解を追い求める探求心に身を焦がされ、くすぐったいような葛藤や気遣い、慎ましさなどの人間味に満たされる。

それはとても美しいことだと思う。ただ、ためらいが生じない時間というのも良い物である。自衛が必要のない許された空間。そして、それを共有できる気心知れた友人たち。私はそんな時を迎えると、ここぞとばかりにキリンジを歌うのである。

 

ということで今回は、キリンジの楽曲をいくつか挙げ、冒頭の奥ゆかしさ論と少しからめて好き勝手言いたいこと言います。

 

奥ゆかしさとキリンジ

前置きが大変長くなってしまったが、皆さんはカラオケでキリンジを歌うことはあるだろうか?

私はもちろんあるのだが、正直キリンジを歌うベストタイミングというのが分からない。それこそ、会社の二次会のカラオケとかで気軽に歌えるタイプではないだろう。

 

なんというか、キリンジの楽曲は全体的に奥ゆかしさを内包している印象があり、選曲の際にはついつい吟味をしてみたくなる。思えば、彼らの楽曲が持つ奥ゆかしさというのは、作品の質の向上を追い求め、売上だけに囚われないための「自衛策」なのではないかという気がしてくる。だとすれば、その大人で落ち着いており、なおかつ盛り上がるところは盛り上がれる楽曲の数々にはうなずける。選曲のタイミングも掴みづらいわけだ。

そうなると、キリンジの楽曲は歌うタイミングというよりも、誰とそれを共有できるか、というところが重要になってくるのではないだろうか。

つまり、カラオケにおいてキリンジに適切な切り時があるとすれば、それは親しい友人や大切な人がいる時であるのだ。そういう意味で、キリンジ親しさのリトマス試験紙だと言えよう。

以下、そんな素敵な楽曲をいくつか挙げ、私に起きた化学反応を細々と記していく。

 


KIRINJI TV Vol.6〜家路〜

情景を詳細に頭の中に描くことができる、疾走感がありながらゆったり聴ける一曲。終電を逃しカラオケでオールする際に歌うと、ほのかに自虐的で良い。それか、自分以外が全員寝落ちした、ラストマンスタンディング状態の時に歌うのも楽しい。夜の雰囲気もぴったりだし。

イントロからして立ち込めてくる良曲の予感が、確かに現実へ具現化される良曲である。

 


キリンジ - グッデイ・グッバイ

晴れの休日に、サンドイッチでもぶら下げて出かけたくなる一曲。

とってもごきげんな感じがするのが嬉しく、まるでおとぎ話を曲として聴いているかのようなくらいに幸せな空気を感じられる。軽やかに街へと駆けだすお供にはうってつけである。

ちなみに、MVに出た喫茶店を求めて江古田まで行ったことがあったが、そのお店が定休日だったことがある。ただ、その隣のお店のモーニングが最高に美味しかったので、まさにグッデイを過ごし、グッバイ出来た思い出がある。この楽曲の秘めた力は凄い。

 


キリンジ - 双子座グラフィティ

世界で一番爽やかな「くたばれ」を楽しめる一曲。キリンジ入門にはうってつけで、複雑に張り巡らされたベース音の上を、踊るように独特の歌詞が滑っていく。その歌詞の巧みさとサウンドの心地よさとを堪能できる曲に仕上がっている。明るい曲調で、とっつきやすさを感じられる点も良い。

 


キリンジ - 雨は毛布のように

その落ち着きと静かな盛り上がりとが雨の日にぴったりであり、まるでキリンジを体現しているかのような一曲。憂鬱なようで心躍るような、雨の日に揺れ動く微妙な心情を的確に表現しているように感じる。また、MVに出ているダンサーの川口維さんがべらぼうにカワイイ。思わず雨の中を踊りたくなるような、現代版「雨に唄えば」ともいえる名曲なのではないだろうか。

 

最後に

上記の他にも、「雨を見くびるな」とか、「かどわかされて」とか、マイナスなように思われる日本語を引っ張り上げてきて楽曲に組み込んでしまうところが好きだ。

かどわかすなんて単語、キリンジで聞くか逆シャアで聞くかの二択だし。きちんと人間の負の部分にもしっかり焦点を当て、それを受け止めて作品に仕上げるというところに好感が持てるし、だからこそ大切な人との包み隠すことのない時間にぴったりなアーティストなのだといえるのではないだろうか。

 

あと、門脇舞以でオトすために名言を持ち出した山本五十六さんには大変申し訳ないことをしてしまった。

以前に何度か墓前参りを行ったので、どうかお許しください・・・・。


https://youtu.be/SzZWXQDM1eY

 

【生活】自販機ノスタルジー

私の街には、大塚製薬の自販機が一つしかない。

公式なデータも数字もないけれど、きっとそうに決まってる。こんなに小さい街の自販機勢力図は、そうそう変わりはしないのだから。

自転車を漕ぎながら、私はそんなことを考えていた。

 

 数日前からのどの痛みがあり、放っておくと熱が出てしまうタイプの私は、休日の午前を病院での診察に充てた。

電動自転車を漕ぎながら病院へ向かい、世間話もそこそこに喉を診てもらう。処方された薬を受け取ったところで、今晩は禁酒令が発令されてしまったことに気が付いてしまった。

13時には駅から電車で発たなくてはいけなかったが、診察が終わって病院を出ると幸いにも少し時間が余っていた。眼前には、暑さでゆらめく田畑が不満げに居座り、周囲にはそれを諌めるでも歓迎するでもなく、のどかな住宅地の様相が広がっている。

うだる暑さと郷里の情景との間に立って、私はふと「昔の通学路を走ってみよう」という気分になった。幸運なことに帰りも自転車である。

ペダルに足をかけると、過ぎ去った時間を追いかけるように足が動き、タイヤの回転数を徐々に上げていった。

 

結論から言うと、通学路は何も変わっていなかった。

住宅がいくつか姿を変え、遊びまわった公園が少々古ぼけていた以外は、私の記憶が具現化させたような風景が流れていき、記憶の主を満足させた。

 

そこで私は、その記憶の端々に自販機の存在があることに気が付いた。

例えば、「あそこにキリンの自販機があったな」とか、「まだあの自販機はあるかな」とか、「この自販機で昔、暑い中炭酸買ったな」といった思い出が、ことあるごとにフラッと顔を出すのだ。

暑さのせいかもしれないが、そこにはお金がなかった学生時分の渇望が確かに感じられた。何もかもが冒険で新鮮だったあの頃、メーカーごとで品ぞろえが違う自販機は渇いた我々には宝の箱で、それらを追い求めることに何の躊躇も疲れもなかった。

ただ、毎回商品を買うだけの経済的余裕はなかったがために、買った買わないの思い出一つ一つがとても輝いているのだろう。そうも感じた。

 

「そうだ、あれを買おう!」

思い出がいくつか去来したあとで、たった一つの自販機と商品のことが私の頭の中には残っていた。この時をずっと待っていたかのように。

 

ファイブミニプラス。大塚製薬の自販機で販売されている、ビンに入ったオレンジ色の飲み物である。

サイズはそれほど大きくなく、自販機のラインナップの中でもこじんまりと佇んでいたことから、どこか「あれを買うのは大人だ」という思いがあった。ポカリやマッチといったライバルたちの存在も、ファイブミニプラスの地味さを強めてしまっていただろう。

ただ、なぜか炭酸とも思えないような色合いと、どこかひとクセあるような大塚製薬の自販機商品という2点が、私の興味を引きたてていたことも確かだった。そして、そのことが一気に私の脳内で目覚めを得た。こうなると、もう買いに走るしかなかった。

 

自販機の場所は、かつて何度も目の前を通ったクリーニング屋の隣。

遠目から見ても分かる位置に、まだその自販機は存在していた。

中段の右端。そこがファイブミニプラスの定位置だった。

ポカリスウェットのラベル独特のブルー、マッチの蛍光色の黄色、ジャワティーの控え目な色彩、私の目はそれらを受け止めつつも、唯一無二の橙色を捉えようとする。

しかし、そこにはすでにファイブミニプラスの姿はなかった。

私は、いつでもファイブミニプラスを買えるような人間になって初めて、ボタンを押すまでは何も手に入らないという真理を思い知らされたのだ。

 

昔と変わらないと思っていた街並みは、確かに時を刻んでいた。

時が経って私が変わったのと同じようにこの街も変わっていて、一つの商品が自販機から消えたことも、確かに街の変革の一翼をになっていたのである。

ただ、最終的に私は何も自販機で買わなかったが、決して悲観的になることはなかった。

なぜなら、この街に唯一の大塚製薬の自販機がある限り、そこにまたファイブミニプラスの姿を拝むことができるかもしれず、その時には迷わずボタンを押せる大人であろうと、小さくも確かに心で誓ったからである。

 

あとがき

トンカツ慕情のファイブミニプラス版(?)だと言われてしまえばそれまでだが、意外に昔の自販機のラインナップって覚えているものである。(もちろん、路地裏でボッコボコにされて、通りがかりの叔父さんにファイブミニプラス奢ってもらってはない)

あの頃は自由に飲み物が買えなかったからこそ、自然と憧れみたいなものが生じていたのかもしれない。

そんな小さい頃のドキドキとかを思い出して、今回は少し語ってしまったわけなのですが、昔の思い出とか諸々ひっくるめつつ未来に生きていきたいという思いを込めて、この曲でさようなら。

 


なんとなく僕たちは大人になるんだ/銀杏BOYZ