自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【短歌】初心者の私が感じる「歌会こわい」とは

以前、「歌会がこわい」という一言で、Twitterあるいはネット上が賑わったことがあったらしい。

それについて、いろいろと意見が飛び交ったようだ。ただ、その時はまだ、私は短歌には触れてすらもいなかった。

 

そして、時が経ってひょんなことから短歌を始めた私にも、ありがたいことに歌会に出る機会が出来た。

本当に質の高い、良い歌会に参加できたとは思うのだが、怖さがなかったかといえば嘘になる。

未だ正式な歌会には2回しか参加していない、ぺーぺーな私だからこそ感じた思いを、せっかくの機会であるから少し綴ろう。

 

シンプルな「怖さ」

では、具体的にどういった怖さを感じたのか?

まずは「レベルの違いから生まれる怖さ」が挙げられる。

それは、他者へ本能的に感じる強さへの恐れだと感じる。何より、出てくる短歌の質が高いのだ。それも、何がどう高いのかよく分からないけれど高いと感じる、得体のしれない感覚が私にはあった。

そして、その得体のしれないものに(初心者なりに)精一杯取り掛かる私をよそに、ベテランさん達がスラスラと評を述べていく。

 

冒頭で私は「怖さ」と述べたのだが、初心者なりに悔しさという感情も生じる。

高度な読み取り合いの力に、私はなすすべもなく置いていかれていくからだ。

「助詞がどう」とか、「他の歌で似た表現を見た」とか、短歌愛ゆえに出てくるガチンコのぶつかり合い。最早そこに初心者の居場所は無い。というよりも、「初心者」という居場所しか許されない錯覚に陥る。

また、自分の渾身の作品があっけなく粉砕されることにも正直怖さがある。初心者だからとかは関係なく、詠み手として絶対に凹んで帰ってくる歌会という存在は、楽しさよりも怖さが上回ってしまうのは当然なのかもしれない。

以上は、初心者だから仕方のないことだとはわかっている。

けれども、もちろん「短歌が好き」という気持ちに偽りはない。そんな好きな気持ちだけではどうしようもない次元の応酬と、好きだからこその悔しさを感じる場所にいるハイレベルな詠み人たちの存在は、慣れていない人に怖さを感じさせるには十分な力を持っているだろう。

 

感想を述べることへの「怖さ」

この項目は、私個人の色味が特に強いので他者に当てはまるかは怪しい。ただ、言いたいので言わせてほしい。

それは、「私は批評に一切興味がない」ということだ。なぜならば、私にとっての短歌とは、上手いとか下手とかではなく感動や感覚の共有をすることに喜びを感じるもの、であるからだ。

つまり、一見分からなくっても、分からないなりに作品にアプローチしていく難しさが楽しいし、好きな歌を見つければもうそれは最高、作者とハイタッチをしたくなる。

 

だからこそ、私は感想を述べることに怖さを感じる。そもそも、「歌会こわい」っていう発言が取り上げられ様々意見が飛び交うっていうことは、「主観的要素たっぷりの感想だけ言う人に辟易している人の存在」を暗に示していることだと感じたからだ。

研鑽に熱心な人によっては、「感想じゃなくて批評を言え」とか思う人もいるだろう。その気持ちは大変にわかるし、いたとしたら「ごめんなさい」としか言いようがない。

 

でも、私は批評は興味がないし、苦手であるし、他に優れた評人を何人も知った。

私は私にしかない感想を述べたい。一(永久初心者ライセンス持ち)歌人として。

「感想や良いと思った点を伝えたい気持ちしかないけど、それっていけないことなのかな?」という思いから、主観的な感想を述べるだけの自分に怖さを感じる。

けれども、私が参加した歌会で、直接私が何か言われたわけではなく、皆さん温かく迎え入れてくださったと思う。良い歌会だった。それは大変に幸運なことで、感謝の念しかない。

 

敷居の高さへの「怖さ」

「歌会は敷居が高いな」というのは、私が2回歌会に参加して感じたことだ。

そこには、短歌が好きな人が集まるが故の、見えない結界みたいなものがあると思う。初心者、そして一市民として歌会に参加した私にとっては、初めの方に触れた居場所に苦しんだという思いが強い。

他の歌人に多大な良い影響を受けて参加している人は、特に歌人の話がバンバン出してくる。私は分からないので口を挟めないで、じーっとニコニコするしかない。

それって、歌会としてすごく健全なことであると思う。ただ、だからこその「所在なさげ」な時間が怖い。

 

初心者のワガママをあえて載せてしまうのであれば、別に無知でも良いし、感想だけ述べるのも許して、まず詠草を持ってきただけで褒めてほしい。ベテランさんも短歌のあり方に自由さを認める、そんな歌会が良いなぁと。

けれども、そんな歌会だと締りがないのかもしれない。だから、ある程度の敷居の高さがあることで高いレベルや短歌の精神は保障されるのだ。そんな決まりがあるような気が初心者としてはする。

 

最後に

こんなに言いたい放題で良いのか?ってくらいには言いたいことしか散らかしていない。

けれど、私が思っていたことは述べられたような、まだモヤモヤしているような・・・・、そんな感じだ。

とにかく、最後に述べたいことは「歌会は自由であってほしい」ということだ。それは、質の高さも低さのデコボコをすべて寛容に認め、日本語としての成立や不成立を楽しみ、それを前提に詠草の数々を認めていく、あるいはそうでないかっちり歌会も全然無くならないでほしい。ただし、他者の短歌の在り方には口出ししないで下さると嬉しい。短歌の形は個人にこそ帰するのであるから。

 

凹んだ心もだんだんと癒えてきて、また歌会行こうかなという気持ちにはなってきた。

この「歌会こわい」話は誰かと共有できれば良いなぁとも思いつつ、刃を研ぐことにしよう。

 

 

 

 

【音楽】BAYCAMP2018に行ってきました

一週間前のちょうど今日。

私は、東扇島という人工島を目指してえっちらおっちら移動をしていた。

それは、人生初のBAYCAMPに参加するために。

 

例年であればサマソニへと向かっていたのだが、今年のラインナップが心に響かず。

DAOKOはちょっと見たかったけれど、彼女のためだけに2万円近く払ってしまうと、今後の金銭感覚が崩壊するのではないかという不安感から、今年は神奈川に落ち着いた。

事前に、いつもフェスにお供してくれる親しい友人と出演アーティストのおすすめソングを交換し合うという微笑ましい儀式を済ませ、ウキのルンで堂々の会場入り。

身分証提示列へと爆音で響くFIELD GARAGEの音楽が、私だけでなく他者の心までを臨戦態勢にさせてくれたことは想像に難くない。ゲートをくぐり、いざ開幕である。

 

開幕アクトは、フレデリック

というよりも、2人とも「オドループ聴ければいいっす」というテキトーぶりを発揮したが故の傾聴であった。

やはり、定番どころということで特に若者が大挙していた感じであった。そして、私たちの到着とほぼ同時にあのお馴染みのイントロが。アガったことは言うまでもない。

 

オドループを堪能したところで、さっさと帰った私たちは暇になってしまった。

次は16時台のNakamura Emi目当てだったので、1時間くらい原っぱでのんびりとして時間を潰す。

やっとこさ時間になったところで移動。第2アクトに備える。

始まった当初、友人は正直あまり期待してなかったというが、彼女のわかりやすくガツンと来る歌詞とパワフルな歌唱に、想像以上に驚きを覚えたという。格好良いもんね。

サマソニ以来だった彼女のライブであったが、相も変わらずの最高っぷり。盛り上げるところは盛り上げつつ、終始ちゃんと聴かせてくれる歌声がたまらない。

個人的にNakamura Emiは、性別や細かいところは違えど竹原ピストルタイプだと感じているのだが、途中のMCで彼のライブに感銘を受けたと言っていて、「ほら!共通点あったでしょ!!」と勝手にめちゃ盛り上がってしまった。また聴きたいものである。

 

その後は17時からWiennersを。

サウンドチェックからブッ飛ばしてきて予感はしていたが、始まってみると案の定ダイブにモッシュにお祭り騒ぎ。

私はかろうじて友人に勧めてもらっていたので、恋のバングラビートが来ると爆盛り上がり。ダイブ者が前列に押し出されるのをチョン・テセ似のエース格お兄さんが受け止める映像を目の当たりにしながら、大いに騒いだ。

友人曰く、「初見殺し」というパフォーマンスであったが、私はサイドバックを堅守していたため非常に平和でエキサイティングに楽しめた。これから来てほしいバンドの一つだ。

 

18時台からはレイザーラモンRGのあるあるライブ。

個人的には奴さんとの「目を閉じておいでよ」が見たくはあったが、そこは流石のRGで、紅にのせて川崎あるあるを熱唱すると大盛り上がり。

なんというか、「RGのあるある生で聴いた」という体験だけで非常に貴重であったと思うのだが、絶妙に歌が上手いのも最高ポイントの一つであった。

「20時から物販に来てくれ!全員にあるある歌ってやるよ!」という啖呵を切ると、会場のボルテージは異様なほどに盛り上がった。最高じゃんかよ。

 

この時点で19時くらいだったが、二人とも23時の竹原ピストル待機だったために、めちゃめちゃ暇に。

バンアパを聴きながら喋りつつご飯にするという、キング・オブ・贅沢な時間を過ごしつつ、23時までなんとか潰れていざ本格始動。

竹原ピストルは最前で見られたのだが、小気味よい人柄の良さをうかがわせるMCと全力投球の歌唱。そして彼の全力でぶつかってくる姿勢に、聴衆も身構えて聞き入るという、ある種ボクシング的な最高のライブ。

サウンドチェックの「浅草キッド」から只者ではない予感がビンビンであったが、まさにその通り。あっという間に全てを聴き終えると、あったかいみそ汁を飲み干した後のように、心がじんわりとほの温かくなっていた。

 

そんなこんなで日付変更線も近づく23時45分。

少し仮眠を取ろうと芝生に寝転んだとき、今宵のラスボス泉谷しげるが登場した。

春夏秋冬しか知らなかったが、めちゃめちゃに格好良い。

伊達に長くはやっていない。MCで全方位に悪態をつきながらギターを掻き鳴らす。30回の腕立てを披露したと思えば、下に降り立ち水を客にぶっかけながら写真撮影タイムを開始するという豪快っぷり。

正直、当初はターゲット層が分からなかったのだが、このパフォーマンスには脱帽である。こんなに自由闊達なアーティストはこの日いなかったのではなかろうか。

 

後を受けたCreepy Nuts泉谷しげるに敬意を示していた。インパクトあったもんね。

フリースタイルラップの旗手として最前線で戦い続ける、彼らのパフォーマンスは充実の一時で、短歌をやり始めた私としても非常に興味深かった。

特に、お馴染み「聖徳太子ラップ」は流石の一言。個人的には時事ネタを期待したが、聴衆から吉澤ひとみの名が飛ぶことはなかった・・・・。

そして、やはり若者の反応がすこぶる良い。それだけ、フリースタイルダンジョンがこの世に与えた衝撃は大きかったんだなぁと改めて感じるに至った。良いアクトだった。

 

その後、夜の本気ダンスをがっつり聴いた後、友人のお気に入りクリトリック・リスを待つついでにimaiを聴く。

「フェスでこの打ち込みの感じ、どう盛り上がるんだろう」とは思ったが、サルゲッチュのBGMが好きな私としては、非常に聴きごたえのあるドラムンベースであった。

ゲーム音楽っぽさも感じさせる可愛さも併せ持ちつつ、電子音楽の疾走感を体現していて実に良い楽曲群であったと思う。

 

そして、お待ちかねクリトリック・リス登場。噂は聞いていたが見るのは初めてだ。

なんだろう、この感じは・・・?と思い、出した答えがザコシであった。打ち込みの音が何とも言えない哀愁、あるいはお茶目さを醸し出しており、股間に仕込んだ装置と相まって唯一無二の空間を生み出していた。ちゃんとハゲって叫んできました。

 

「クリトリック・リスに全部を使う必要はない」という友人の名言が飛び出し、Awesome City Clubへと急ぐ。

最後の最後になんとか追いつき、「今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる」は聴けた。これが聴きたかったのだ。

事前に友人に勧められMVをめちゃめちゃ見た為、ダンスを覚えてしまったこの哀れな私は、ライブ中ずっとサビの部分でそのダンスを踊っていましたとさ。楽しかったので良し。

 

そして、今回のお目当て、サニーデイ・サービスが登場する。時間は4時を回って15分。

サニーデイになると、今までいた多くの若者たちが別会場へ流れていく。DJダイノジ目あてだろうとは友人の弁。

そうして、本当に音楽が好きな人々と一緒に最高の夜明けを迎えるべく、彼らの演奏を聴いた。

あの声が、楽曲が、目の前にあるというだけで身体の疲れはすっ飛んでいく。

友人は聴き入っている風に寝ている。それもまた最高の贅沢であろうと感じる。

静の中に動があり、美麗な歌詞が紡がれていく様は最高であり、そしてとうとう夜明けを迎える。最高の朝日がそこにはあった。

アンコール。もちろん、「青春狂走曲」だった。今までの思いが溢れ、自然に曽我部さんと一緒に歌いだす。それは、私たちの夜明けであり、時間であった。

 

終わった。

あとは帰るだけだが、とっても楽しい時間だった。大正解だった。

そんな私たちを、日曜日の朝日が静かに見送る。遠方では「黒柳さぁ~ん!!!!!」が聞こえる。最高だった。そこにはもう、最高さとその抜け殻とが確かにあった。

 

以上である。

この経験をしてしまったら、きっと来年も行くのだろうなとは思う。

サマソニとの平行になったらなったで、それも幸せの形かもしれない。

友人よ、そしてすべてのBAYCAMP出演者の皆さん、ありがとう。

【短歌】人生初の歌会に参加してきました

さてさて、前回の記事にて参加すると申し上げた歌会に、例のごとく参上してきた。

その日は丁度、新潮社の夏祭りと知る人ぞ知る「Mr.ドーナツ伝説咳曉夫THE MOVIE」もあったので、全く以って盛りだくさんの内容であった。

まずは新潮社の夏祭り。ホシヅルマグカップ、蟹工船Tシャツ、森見登美彦の京都手ぬぐいを購入し、ホクホク顔で会場を後にした。欲を言えば中瀬編集長のご尊顔を拝見したかったが、泣く泣くの退散。かき氷美味しかったから良いや。

 

そして時間は15時の新宿。「歌会って、どんなひとが来るのだろう」という純粋な疑問に、崩れたメガネびいき風お兄ちゃんがまずは一人門をくぐる。

先客は4人で、いずれも普通の人たちであった。貴族風の人は一人もいない。平民の私は少し安堵する。

そして、始まるまで隣の人と他愛無い会話をすることもないくらい、プロ初登板を迎えた新人のように緊張しながら開始を待つ。命は取られないが参加費は取られるのだ。しっかりしろ、私よ。

 

後から残りの人が到着し、満座となっての歌会開始。

提出された短歌の載った紙(詠草)を見ながら、それぞれが1句1句評という名の解釈をしていく。

しかしながら、私の想像していたよりもはるかに詳細に、そして自由闊達な解釈や批評が空間を飛び交っていく。即興で生み出される言葉の数々は、さながら杉本清の名実況のごとく、私の耳に入って来て脳内を揺らす。

ここまでくると、私も連鎖反応で思ってることないことが口から溢れ出てくる。楽しい。けれど、同時にどこまでが本意として捉えきれているのか分からなくなってくる。完全即興の一人芝居で、脚本を口に出して言っているような不思議なふわふわした感覚がそこにはあった。

 

肝心の私の提出した短歌はというと、残念ながら力不足というか誰に刺さることもなく、力尽きどこかへと流れて行ってしまった。悔しい。

正直、地方代表校が甲子園で都会の強豪に蹂躙されたかのような、そんな完敗であった。はなから勝負にはなっていなかった。もちろん、勝負に例えればの話だけれど。

 

評の後、選があり1句その日のMVPが選ばれ、少しのんびりお喋りをしてから解散した。

いや~、参加者の方々とお話ししたけれど、やはりエンタメに対しての造詣が深い。

そこは美意識なのかもしれないけれど、引き出しから取り出して提示するセンスが皆さん磨かれていたイメージ。私なんか、一番好きな映画「タワーリング・インフェルノ」の説明を「ポール・ニューマンスティーブ・マックイーンが火を消す映画です」としか出来なかったヘタレである。間違ってはいないが大間違いだろ。

 

そんなこんなで、皆さんに色々ご指導いただきつつ、おすすめ歌人も沢山教えていただいたので、早速色々資料を用意して鋭意勉強中だ。

これからも楽しく自分らしく短歌を作っていければと思うが、自分なりに考えて成長が出来ればとも切に感じる。

 

ちなみに、咳曉夫の集会はというと、映画だけに飽き足らずついにAI作成までしてて最高に笑えるものだった。私も咳曉夫もどこへ向かうのだろうか、楽しみで仕方がない。

【野球】この夏、盛り上がれる野球応援歌選

暑い中、球児たちが白球を追いかけ、その結果に一喜一憂するシーズンが来た。

 

夏の高校野球は、着々と代表校が出そろってきている。人によっては、これからが野球シーズンの到来であるという方もいるのではないか。

例年に比べて暑すぎるため、その開催に賛否はあるものの今年も例年通りの開催となりそうな甲子園は、野球好きにとってはありがたいことで、昼は高校野球、夜はプロ野球、と野球三昧を過ごすためには欠かせないイベントである。

また、プロに比べて展開はスピーディで、なかなか侮れない楽しさがあるのも、高校野球の特長である。

 

さて、一方夏といえば、音楽フェスの時期でもある。

やはり、人は暑くなると外に出たくなるのだろう。野外で聴く音楽は開放感があって良いものだ。

そして、野球で欠かせないものといえば、その一つに応援歌がある。

これも、捉えようによっては野外での音楽体験であり、自らも声を張り上げるフェスみたいなもんではなかろうか。

ということで今回は、これから熱量を上げて盛り上がるであろう野球の観戦シーンにおいて、ブチ上がるのにオススメな応援歌を適当に紹介し、好き放題言いたいことを言おうと思う。

 

ロッテ‐福浦和也応援歌

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福浦といえば、千葉が生んだ稀代のヒットメーカーで、ロッテにおいても生え抜きとして2000本安打の達成に期待がかかる名選手である。(2018年7月29日現在)

そんな「俺たちの福浦」に捧げる応援歌がこれである。

ロッテおなじみの、ゆっくりとした選手名コールから始まって、徐々に音階が下がっていく独特のイントロ、そして最後は手拍子が心地よく球場に響き渡る。

こんなに完成度の高いメロディに乗せて身体を上下させることが、熱くも快いことは言うまでもないだろう。

思わず「福浦ヒット!」と言いたくなるような、そんな良曲がこの1曲だ。

 

西武‐エルネスト・メヒア応援歌

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歌詞としてはかなりシンプルな部類に入るだろう、この応援歌。

老若男女に優しいこの曲は、相手リーグファンも巻き込むくらいについつい口ずさみたくなるもので、私も愛犬の周りを口ずさみながらグルグル回って嫌そうな顔をされている。

もちろん、破壊力のあるバッティングで人気のあるメヒアだが、その人気にこの一曲も組しているように思えてならない。そんな不思議な魅力のある曲である。

 

楽天・茂木栄五郎応援歌

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名前を連呼しているだけである。決してもぎもぎフルーツのCMとかではない。

しかし、その古風で素敵な名前が連呼されているだけでも、どこか自分も加わりたくなるのはなぜなのだろう。

また、この応援は子供でも覚えれば加われるというのが非常に良い。おはスタ辺りで実践すれば、全国の小学生に茂木栄五郎旋風が吹き荒れるくらいのポテンシャルはあるように思える。そんな夢を見ることの出来る怪作だ。

 

セガサミー野球部・輝彦

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どこか時代劇風というか、懐かしいような感じのする1曲。セガサミー野球部のために作られたオリジナル楽曲だったような気がする。

応援のダンスが付いているのはプロ野球にはない点で、そのキレの良い動きには感服してしまう。覚えれば、自宅でも会社でも脳内輝彦をかければ誰かを応援できる。

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また、セガサミーならではの、パチスロ使用楽曲がかかるのも応援の特長だ。

この曲、DJラオウのニコニコラジオGo!Show!Hah!以来なので、超懐かしい。血沸き肉躍るには易しい応援歌となっている。

 

以上で応援歌紹介ゲームセットである。

夏フェス気分で参加するにはもってこいだったであろうか?どちらにせよ、応援の勢いが選手の心に火をつけることもあるので応援は楽しい方が良いに決まっている。

この夏、何かしらの野球の応援で、「あっ」となってくれれば幸いだ。

【生活】新しフィールドと素敵メガネ

学生を卒業してからというもの、世界は大いに広がった。

それは、所持する金額であったり、交流関係の広がりであったりとが、学生時代のスケールよりも大きくなっているからだ。

けれども、感動の度合いというものは、年々縮小傾向にあるかもしれない。何とも寂しいことであるが、「新しい」ということに関してどこかで冷静でいるという、ちっぽけな大人のプライドが邪魔しているのだろう。

 

大人になればなるほど、新しさって視野を狭めていくような気がする。

それは、意識をしていなければじわじわと閉ざされていき、気が付けば知識と常識とで満たされ、既視感だけが日常を埋め尽くしてしまうかもしれない・・・・。

 

なあんて、若造はぼんやりと考えていたりするのである。相も変わらずの猛暑の中で。

さてさて、そんななかで今回は新しい何かに基づいた小話をいくつか用意した。

「ふーん」と「へぇ」が入り混じる、そんな新しさにまつわるお話をどうか。

 

Ω

最近、当ブログでも投稿し始めているが、日常的に短歌を詠むようになった。

レベルに関しては下手の横好きレベル、熱意に関してはうやむや街道まっしぐら、それでも無性に楽しくて続いている。

そんなこんなで少しづつ積みあがっていき、短歌の数も100を超えた。

それだけあれば、1つくらいは好きな短歌が生まれるわけで、今度歌会に参加させてもらって披露してこようと思う。

 

歌会なんて初めての経験で、烏帽子でも買うたろうかと思うくらいにイメージが湧かないが、きっと楽しいことは間違いないだろう。

再度、この件については記事にするかもしれないが、とっておきの一首を磨きつつ、その日を待つばかりである。

 

ΩΩ

先日、新しく眼鏡を購入した。

ブランドは、オリバー・ピープルズ。聞く話によると、普段の松重豊が着用しているブランドということらしい。

ただ、店員さんに話しかけて「このモデルが欲しい」と言ったところ、「何か見ていらしたんですか?」という返答が。

とっさに、「松重豊と同じやつらしいんです!」と言おうと思ったが、松重豊って実力も知名度も全国区なはずなのに、なぜか伝わらなさそうな中村晃的な雰囲気があるので、「ま~~~~~~ッッ、そうですねぇ~」と述べるに留まった。

 

試着したところ、メガネびいきみたいな感じに。

それはともかく、今後おしゃれメガネをかけて歩くのが、ちょっぴり楽しみになりそうな予感である。

 

ΩΩΩ

上述の話題に続くのだが、最近インスタグラムを開始した。

友人の勧めで始め、知り合いはフォローせずに短歌だけを手書きしてのっけてるのだが、知らない人から反応が頂戴できるのは大変嬉しい。

賞への入選なんてのも良いものだけれど、結局のところ、誰かが見てくれている実感が創作の原動力になるのかなぁ、と思わせてくれている。

 

もちろん、当ブログにおいてもそれは一緒である。インスタ映えなど何のその、とんでもインチキな言動の数々を放り投げられる、そんな稀有稀有な空間もまた、新しフィールドとは違ったワクワクをくれるのである。そんな暑中。

【短歌】41〜50

我が家の愛犬が、こてんとして、だらりんとしだしたいつもの夏。

 

世の中は、平成最後の夏ということでどこかソワソワしている風だ。

そんな時期に、ふらっと詠んだ短歌をちょいと。暑さはしのげなくても、退屈はしのげるかもしれない。

元号はいつだってあるものだが、夏はいつだって最後の夏なのだ。そんな感じで。

 

41.仮にだよ
僕が貴方を好きならば…
そんなことより踊りませんか

 

42.言外に
匂わす気怠げさ受け取り
納屋にて笑うゆきゆきて夏

 

43.サイダーの
泡すら塞ぐ雨の日の
午前に1人雨に唄えば

 

44.フッとだよ
ほんとにフッと気付くんだ
自然が穿つ人の在り方

 

45.イキりにも
本物がいる時がある
それは自信の質なのかもね

 

46.木漏れ日に
伊達に胸張る木曜日
強気じゃないさ 男の証左

 

47.ハリボテの
工場夜景を見ながら
消えゆく家路 寒さは別に

 

48.危険物
資格はたくさん取ったけど
タンスの角の 前には無力

 

49.青春は
かくも懐かしいものなのか
ブギーポップは笑わないを見て

 

50.綺羅星
数を数えてみたけれど
どうでも良いな 空の下では

 

前回は各句にテキトーな解説を付けたが、なんかそれも無粋な気がするので今回はパス。

誰かが何かを感じてくれるのであれば、それは嬉しい限りである。

【生活】「カラオケガラパゴス化」論

「カラオケ行きたい・・・・」という呟き。

日常生活、あるいはSNSなどで遭遇することのあるこの呟きが日夜絶えることはなく、もしも終わりが来るとすれば、それは「カラオケ」という一つの文明の終焉を意味するだろう。

 

ただ、私が「カラオケ行きたい・・・・」と呟かなくなってどれほど時が経っただろうか。

もちろん、カラオケに行かなくなったわけではなく、むしろ週1ペースで行っている。よく行くカラオケで変なあだ名が付いていても仕方ないペースだ。

しかも私の場合、「カラオケに行きたい・・・・」と思った瞬間にはカラオケに着いているという、プロシュート兄貴みたいな感じになりつつあるので、わざわざSNSで呟くことも無くなってしまったのだ。

 

しかし、その大部分が一人カラオケでの利用である。

友達を誘って行っても良いのだが、一人だと行きたいときにスッと行けてしまうため、気が付いたら専ら一人で利用することが増えてしまっていた。

身軽だし気を使わない分良い点もあるが、その一方でどんどん独自の文化を築くことになってしまった。つまり、選曲に独自色全振りの異様ともいえる空間が出来上がってしまったのである。

 

ということで今回は、「カラオケガラパゴス化」という問題について論じようと思う。時代を象徴する音楽がなかなか出てこない昨今だからこそ、この問題は他人事ではないのである。誰もにその危険性があり、今回はたまたま先に沼にはまってしまった私が、あることないことを語っていこうと考えている。

 

従来のカラオケは、気配りとチームプレイの賜物である

そう、今までのカラオケというものは複数人での協力プレイであった。

それは、例えば友達同士で盛り上がるためとか、お客同士でお店の良い雰囲気を盛り立てるため、あるいは会社の同僚とソツのない時間を過ごすため、といった目的が主流であったからだ。

そこには、選曲への忖度や気配り、様々な不文律を乗り越えた先にあるものを目指す文化があった。

 

しかし、昨今ではいわゆる「ヒトカラ」が市民権を得つつあり、一人でも気軽に歌えるようになってきた。つまり、選曲への気配りの必要がそこには存在しないのだ。

そのような土壌を楽しむことは結構であるが、あまり漬かりすぎると複数人でカラオケに行く際に弊害が出る恐れがある。

その弊害とは何なのであるか、これから提示していこう。

 

選曲がマニアックになっていく

 そう、ヒトカラのわかりやすい問題点としては、選曲が自分の趣味に偏っていくことである。それはたぶん、さしてマニアックでなかったとしても、自分の世界全開な時点で他者を寄せ付けない凄みがあるかもしれない。

そのような世界に身を置き続けた状態で、いきなり他者との気の遣い合いフィールドに立ち、普段歌わないAKBやら懐メロやらを歌えるかといえば、おそらく難しいであろう。せいぜい、自分の持ち歌でいけそうな曲を精いっぱい考えるのがオチではないか。

私なんか先日、「最近はColdplayを歌う」と言ったら友人に笑われてしまった。「いやhymn for the weekendそう歌うやついないだろ」、と。最高の友人である。

 

このように、ヒトカラで気兼ねなく歌い散らしていると、知らぬ間に浮世離れしていく恐れがあるため、注意が必要なのである。

 

気を遣うのがちっとも面白くなくなる

そもそも、ヒトカラが人々に浸透した理由は、「他者に気を遣わず歌いたい」というものが一つに挙げられる。

つまり必然的に、親しい友人はまだしも、そうでない人と行きたくないからヒトカラにハマるのである。そうであれば、接待カラオケの類いはストレスの温床でしかない。

 

選曲で独自の生態系を作ってしまった者は、おそらくだがカラオケにおいて他者に気を使える視野というか、その能力が衰えている場合が多いだろう。

「どうせ、このメンツでwalk the moon の曲歌えないし・・・・」とか、「柳のように揺れるネクタイの、を歌ったらダントツで嫌われる・・・・」とか、入りからネガティブ思考に陥り、その場を楽しむことができない。

うまく切り替えられる人は良いが、ガラパゴス化が進んでしまった人は、「カラオケにいるのに好きに歌えないなんて」という悲しい現実に打ちひしがれる可能性が高い。

そんな、ある種外来からの影響に弱いという点が、カラオケガラパゴス化の弱点であるといえよう。

 

カラオケガラパゴス化を迎えたまま生きるためには

もし、この記事を読んで思い当たる人がいても安心してほしい。

それは、「カラオケガラパゴス化現象は、時代が作ったものなのである」と。つまり、あなたは何も悪くないし、なんなら時代に乗っかって楽しめている人なのである。

既存の「複数人を盛り上げるためのカラオケ」という概念を、個人単位でも実現しようとする革新的な概念が、何かと衝突することは避けては通れない。

大事なのは、現実を受け入れ、あるがままを通すために行動を起こすことだ。そのために、以下ではささやかながらガラパゴスな人々(自分を含め)に言葉を贈ろう。

 

ヒトカラと「人から」

そもそも、他者とのカラオケの場合、あなたのカラオケの概念はガラッと変わるのだ、ということは覚えておいてほしい。

それは、ヒトカラではなく、「人から」になるのだ。何事もまずは他人から、自己犠牲の精神で臨もう。

ドリンクも基本はまずは「人から」注文を聞いて、自分のは一番最後に。選曲も「人から」で、歌えといわれたら歌えば良いし、先陣切る人がいればそれに続こう。

 

この、ヒトカラとは全く逆の心構えさえ出来れば、あなたはガラパゴス人でも問題はない。晴れてグローバルスタンダードの仲間入りである。

 

スナックへ行っても平気な武器を持とう

それと、選曲についてはおじさま達の社交場、スナックに行って通用する曲であれば大抵大丈夫だ。会社の上司相手にも使いまわしできるし、なんとなくのノリで老若男女を攻略できるはずだ。

というのも、ガラパゴス化を迎えた人々は、自身の選曲センスにこだわる印象が強い。これの次だったらこれを歌おうとか、なんであの曲は入ってないのか、とか、歌いたい曲に対しての想いというのが強いのである。

つまり、スナックで通用する選曲センスというのにも、少なからず敏感な人というのはいて、それを逆に楽しめるのではないかと思うのだ。

 

履歴で他者に触れる

あとは、前の人が歌った履歴に目を通してみるのも良い。

そこには、大体の特徴が浮き上がっているからで、アーティストがおおよその年代を象徴しており、様々参考になる。

私のように「あえてデートをしているかのような選曲をかます」ような変態がいなければ、若い人の流行や、中年の定番曲、同世代の懐かしい曲などが見えてくるはずだ。

また、「名前は知っているけれど、曲は知らない」なんてアーティストに出会えれば、一曲試しに聴いてみたり、歌ってみるのも楽しい。

 

いかがだっただろうか。

例え、浮世離れしてしまった人でも、これさえ押さえればなんとか生きて行けるであろう事柄はピックアップしたつもりだ。

よりヒトカラを楽しむためにも、参考にしていただけると幸いである。全てのガラパゴス化人に幸あれ。

 

最後に

え~、クソ新書の誕生である。

私自身の思っていたことをまとめるに留まらず、薄っぺらなことばっか書き連ねたまとめサイトの様な体裁に仕上がった。

まぁ、これでも楽しかったので、カラオケに行ったくらいには有意義な時間であっただろうと思う。以上。