【生活】自販機ノスタルジー
私の街には、大塚製薬の自販機が一つしかない。
公式なデータも数字もないけれど、きっとそうに決まってる。こんなに小さい街の自販機勢力図は、そうそう変わりはしないのだから。
自転車を漕ぎながら、私はそんなことを考えていた。
数日前からのどの痛みがあり、放っておくと熱が出てしまうタイプの私は、休日の午前を病院での診察に充てた。
電動自転車を漕ぎながら病院へ向かい、世間話もそこそこに喉を診てもらう。処方された薬を受け取ったところで、今晩は禁酒令が発令されてしまったことに気が付いてしまった。
13時には駅から電車で発たなくてはいけなかったが、診察が終わって病院を出ると幸いにも少し時間が余っていた。眼前には、暑さでゆらめく田畑が不満げに居座り、周囲にはそれを諌めるでも歓迎するでもなく、のどかな住宅地の様相が広がっている。
うだる暑さと郷里の情景との間に立って、私はふと「昔の通学路を走ってみよう」という気分になった。幸運なことに帰りも自転車である。
ペダルに足をかけると、過ぎ去った時間を追いかけるように足が動き、タイヤの回転数を徐々に上げていった。
結論から言うと、通学路は何も変わっていなかった。
住宅がいくつか姿を変え、遊びまわった公園が少々古ぼけていた以外は、私の記憶が具現化させたような風景が流れていき、記憶の主を満足させた。
そこで私は、その記憶の端々に自販機の存在があることに気が付いた。
例えば、「あそこにキリンの自販機があったな」とか、「まだあの自販機はあるかな」とか、「この自販機で昔、暑い中炭酸買ったな」といった思い出が、ことあるごとにフラッと顔を出すのだ。
暑さのせいかもしれないが、そこにはお金がなかった学生時分の渇望が確かに感じられた。何もかもが冒険で新鮮だったあの頃、メーカーごとで品ぞろえが違う自販機は渇いた我々には宝の箱で、それらを追い求めることに何の躊躇も疲れもなかった。
ただ、毎回商品を買うだけの経済的余裕はなかったがために、買った買わないの思い出一つ一つがとても輝いているのだろう。そうも感じた。
「そうだ、あれを買おう!」
思い出がいくつか去来したあとで、たった一つの自販機と商品のことが私の頭の中には残っていた。この時をずっと待っていたかのように。
ファイブミニプラス。大塚製薬の自販機で販売されている、ビンに入ったオレンジ色の飲み物である。
サイズはそれほど大きくなく、自販機のラインナップの中でもこじんまりと佇んでいたことから、どこか「あれを買うのは大人だ」という思いがあった。ポカリやマッチといったライバルたちの存在も、ファイブミニプラスの地味さを強めてしまっていただろう。
ただ、なぜか炭酸とも思えないような色合いと、どこかひとクセあるような大塚製薬の自販機商品という2点が、私の興味を引きたてていたことも確かだった。そして、そのことが一気に私の脳内で目覚めを得た。こうなると、もう買いに走るしかなかった。
自販機の場所は、かつて何度も目の前を通ったクリーニング屋の隣。
遠目から見ても分かる位置に、まだその自販機は存在していた。
中段の右端。そこがファイブミニプラスの定位置だった。
ポカリスウェットのラベル独特のブルー、マッチの蛍光色の黄色、ジャワティーの控え目な色彩、私の目はそれらを受け止めつつも、唯一無二の橙色を捉えようとする。
しかし、そこにはすでにファイブミニプラスの姿はなかった。
私は、いつでもファイブミニプラスを買えるような人間になって初めて、ボタンを押すまでは何も手に入らないという真理を思い知らされたのだ。
昔と変わらないと思っていた街並みは、確かに時を刻んでいた。
時が経って私が変わったのと同じようにこの街も変わっていて、一つの商品が自販機から消えたことも、確かに街の変革の一翼をになっていたのである。
ただ、最終的に私は何も自販機で買わなかったが、決して悲観的になることはなかった。
なぜなら、この街に唯一の大塚製薬の自販機がある限り、そこにまたファイブミニプラスの姿を拝むことができるかもしれず、その時には迷わずボタンを押せる大人であろうと、小さくも確かに心で誓ったからである。
あとがき
トンカツ慕情のファイブミニプラス版(?)だと言われてしまえばそれまでだが、意外に昔の自販機のラインナップって覚えているものである。(もちろん、路地裏でボッコボコにされて、通りがかりの叔父さんにファイブミニプラス奢ってもらってはない)
あの頃は自由に飲み物が買えなかったからこそ、自然と憧れみたいなものが生じていたのかもしれない。
そんな小さい頃のドキドキとかを思い出して、今回は少し語ってしまったわけなのですが、昔の思い出とか諸々ひっくるめつつ未来に生きていきたいという思いを込めて、この曲でさようなら。