自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【生活】10勝10敗投手の「自分らしさ」

最近、何か形容のしようのない矛盾感を覚えている。

例えば、お腹いっぱいのはずなのになぜか食べたりない。何かやりたいはずなのに何もやる気が起きない。寂しいはずなのに誰かと会いたいわけではない、などなど。

コロナで、休日の過ごし方が以前と同じとはいかなくなったのも関係しているのだろうが、この感覚はなんなのだろう。すごくふわっとしているが、この感じを強いて形容するのであれば、横浜時代の門倉健っぽいな、と思うのであった。

 

横浜時代の門倉健といえば、救援投手として投げたのち、配置転換で先発を経験している。シーズンオフのフロントの発言から「10勝するが10敗する投手」というイメージが定着してしまっている、少し不憫な選手でもあるのだ。

しかし、実際のところ彼の成績がどうだったのか気になって調べると、意外な事実を目の当たりにするのであった。

恐らく、フロントが上記のようなニュアンスの発言をしたのは2006年のシーズンオフでのことだろう。実際、その年を最後に彼は横浜を去っている。

2006年シーズンの彼の成績は、10勝9敗で1つの勝ち越し。先発は25登板で投球回数は約154回、一試合だいたい6回は投げている計算だ。10勝はしたが、10敗はしていないのである。

防御率は4.84と決して良い成績とは言えないが、通年で活躍しまぁ6回は投げてくれて10勝はしているのだから、そこそこよりちょっと期待外れくらいなのではないだろうか。(もちろん、投球リズムなどで印象が変わってきそうな成績ではあるが)

 

この成績を見て、「2桁勝って1つ勝ち越しているんだから良いじゃん」と思う方もいるのではないだろうか。事実、私はそう思ってしまった。

人生も似ているのかもしれない。シーズンの成績は波があっても、最終的には1つ勝ち越していれば上出来な気がしてくるではないか。

しかし、それでは今の私の矛盾の解決にはならない。そんな時、私は気づいたのであった。「門倉自身はどう思っていたのだろう」と。

 

彼自身が、「10勝しても10敗する」レッテルを貼られていながら活躍したのはなぜなんだろう。いや、そもそもそのレッテルって「彼らしさ」なのだろうか・・・・?

彼はNPBの後にKPO(韓国プロ野球)に渡って見事に復活を遂げ、彼の地でバリバリ先発として投げることができた。おそらく新天地での投球が、レッテルに惑わされない「彼らしさ」を十分に発揮できるきっかけだったのではないだろうか。そう思い至ったのである。

 

おそらく、今の私には「自分らしさ」の発揮が足りなかったのだと思う。

そこに勝敗は関係なく、「自分がやりたいことを実現して、自分自身を認めてあげることが必要なのだ」と、気がついた。

プロ野球に例えると、数多の選手が自分の武器を認め、磨き、しのぎを削っている舞台に立ち続けるには、まずは一プロ選手としての「自分らしさ」が確立されいることが肝要だということだ。どんなに成績が良くても、ここが弱いと連続して試合に出るのが嫌になるだろうし、逆にどんなに成績が悪くても「自分らしさ」を確立できていれば、先に進むべき道ややるべきことが見えてくるのである。

きっと、門倉も日本時代に色々と思うこと、気がついたことがあり、異国の地にて「自分らしさ」を見つけることができたのではないかと推測する。それは、彼にとって幸せや充実の時間だったであろう。

 

こうして久々にブログを書いているのも、ひとえに「自分らしさ」の発揮のためである。自分の好きなことを絡めたへんてこりんな文章こそ、なんだか私っぽくて心地よい。

私は人生で10勝もしてないし、たぶん10敗もしていない。それでも、連休が終われば構わず仕事に行くし、休日にはのんびりともアクティブにとも過ごすはずだ。

そんな平凡な人生の中に、少しの自分らしさの実現と、自分を認めてあげる気持ちとがあれば、1つの勝ち越しくらいはできるのかもしれない。