自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【短歌】人生初の歌会に参加してきました

さてさて、前回の記事にて参加すると申し上げた歌会に、例のごとく参上してきた。

その日は丁度、新潮社の夏祭りと知る人ぞ知る「Mr.ドーナツ伝説咳曉夫THE MOVIE」もあったので、全く以って盛りだくさんの内容であった。

まずは新潮社の夏祭り。ホシヅルマグカップ、蟹工船Tシャツ、森見登美彦の京都手ぬぐいを購入し、ホクホク顔で会場を後にした。欲を言えば中瀬編集長のご尊顔を拝見したかったが、泣く泣くの退散。かき氷美味しかったから良いや。

 

そして時間は15時の新宿。「歌会って、どんなひとが来るのだろう」という純粋な疑問に、崩れたメガネびいき風お兄ちゃんがまずは一人門をくぐる。

先客は4人で、いずれも普通の人たちであった。貴族風の人は一人もいない。平民の私は少し安堵する。

そして、始まるまで隣の人と他愛無い会話をすることもないくらい、プロ初登板を迎えた新人のように緊張しながら開始を待つ。命は取られないが参加費は取られるのだ。しっかりしろ、私よ。

 

後から残りの人が到着し、満座となっての歌会開始。

提出された短歌の載った紙(詠草)を見ながら、それぞれが1句1句評という名の解釈をしていく。

しかしながら、私の想像していたよりもはるかに詳細に、そして自由闊達な解釈や批評が空間を飛び交っていく。即興で生み出される言葉の数々は、さながら杉本清の名実況のごとく、私の耳に入って来て脳内を揺らす。

ここまでくると、私も連鎖反応で思ってることないことが口から溢れ出てくる。楽しい。けれど、同時にどこまでが本意として捉えきれているのか分からなくなってくる。完全即興の一人芝居で、脚本を口に出して言っているような不思議なふわふわした感覚がそこにはあった。

 

肝心の私の提出した短歌はというと、残念ながら力不足というか誰に刺さることもなく、力尽きどこかへと流れて行ってしまった。悔しい。

正直、地方代表校が甲子園で都会の強豪に蹂躙されたかのような、そんな完敗であった。はなから勝負にはなっていなかった。もちろん、勝負に例えればの話だけれど。

 

評の後、選があり1句その日のMVPが選ばれ、少しのんびりお喋りをしてから解散した。

いや~、参加者の方々とお話ししたけれど、やはりエンタメに対しての造詣が深い。

そこは美意識なのかもしれないけれど、引き出しから取り出して提示するセンスが皆さん磨かれていたイメージ。私なんか、一番好きな映画「タワーリング・インフェルノ」の説明を「ポール・ニューマンスティーブ・マックイーンが火を消す映画です」としか出来なかったヘタレである。間違ってはいないが大間違いだろ。

 

そんなこんなで、皆さんに色々ご指導いただきつつ、おすすめ歌人も沢山教えていただいたので、早速色々資料を用意して鋭意勉強中だ。

これからも楽しく自分らしく短歌を作っていければと思うが、自分なりに考えて成長が出来ればとも切に感じる。

 

ちなみに、咳曉夫の集会はというと、映画だけに飽き足らずついにAI作成までしてて最高に笑えるものだった。私も咳曉夫もどこへ向かうのだろうか、楽しみで仕方がない。