自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【生活】価値観マウンティングと喫茶

思えば、昨日はとても疲れた。

それは、決してバスケで言うところの100点ゲームでの敗戦、あるいは出納帳で言うところの全部を支出に振った大赤字とかではなく、確かな実りを外側からまくっていった、忌むべき邪悪な時間による疲れであった。

そんなことを思いながら、激動のCLを友人宅で観戦し疲労が滞留する身体を鼓舞し、私は不眠者にはあまりに眩しすぎる午前7時の日差しの中を家路を急いだ。

 

他人の愚痴というのは、事情を全く知らない者にとっては大変陳腐であるということは百も承知だ。

ただ、往年の名作である機動戦士ガンダムシリーズの主人公の一人、カミーユ・ビダンは言った。

 

その君の感から発した、君の怒りといら立ちは理由になる

 

まさに今の私は、この今の何とも言えない苛立ちを発散せずにはいられず、全く律儀にもカタカタとキーボードを叩いているのである。陳腐でも伝えたいことがあるのだ。

そんな今回は、ちょっとした愚痴と生活で感じたこととをまとめて編んでみよう。

熱さ故長くなったら申し訳ないが、涼しい日曜の夜ということでご容赦願いたい。

 

世の中には様々な価値観がある。そして、その中で私たちは生きている。

時に、価値観というのは合わないことがあって、人の感情を揺り動かす。けれど、それはそれで健全であるし、人として生きているうえでの性でもあると思う。

問題なのは2つ。相手の価値観を理解をすっとばして否定する言動をすることと、異なる価値観を認めて受け流そうとしないことだ。

そして、冒頭私が疲れていたのは、何も徹夜でジョン・カビラの美声を楽しんでいたからではなく、その2つの問題に同時に遭遇してしまったからであった。

 

親しい友人の知り合いに昨日会った。友人も初対面だという。

その知り合いは、「友達を増やしたい人」だった。

別に、それ自体は素敵なことだ。「それほど友達を増やそうとしない」私にとってはその行動力に感嘆するだけである。

ただ、その人は私にとって不穏な言動で、たしなめにかかってきた。

 

もしかしたら悪意はなかったかもしれないが、言外に「あなたも友達を増やした方が良い」と言いたげな発言には辟易してしまい、挙句には「それでいろいろな価値観に触れられるから」だそう。

その時点で、「あ、この人は本とか映画とかあんまり興味ない人だ」と判断するに十分だった。なぜなら、価値観とセットで出るのは友達という言葉だけだったからだ。

本や映画、音楽やサッカー選手の名前の語感その他もろもろでも価値観を吸収している(気になっている)私と、その人は梅とウナギくらい一緒にしてはいけない

 

つまり、その人は多様な価値観を知っているつもりで私を諭しにかかったが、私にとってそれは無理解を以って自分を否定される案件であった、ということである。嫌だなぁ。

 

その時喋っていた私には、すでに代走が出てベンチに下がっていた如く適当な反応しかできなかった。しかし、その時は確かに「沈黙は金」であったと思う。

違う価値観に遭遇することは往々にしてあることだが、否定する気持ちはさておき言動だけは慎み、できる限りの範囲で理解をする、この2つを気を付けようと思った次第だ。ちょっとスッキリした。

 

◇◇

そんな価値観でマウンティングされる前、私はのんびりカフェでお茶を楽しんでいた。

神保町界隈の間近で、1杯目は少し高いけれどそれがおかげか若者の喧騒とは無縁の、ジャズが1日中流れているという最高なお店だ。

この事はTwitterでも呟いた既出のネタで申し訳ないが、最初は氷の入ったグラスに暖かい紅茶を流し込むスタイルのアイスティーを、そして2杯目は熱々のコーヒーという三献茶スタイルで楽しんだ。初夏の陽気にはピッタリの石田三成リスペクト喫茶で、気分は夏の陣である。お試しあれ。

 

◇◇◇

最近、読書のモチベーションが上がっている。

そして、今更ながら少し恥ずかしいが「ブギーポップは笑わない」シリーズを読みだしている。

なんというか、昔の作品であるとか学校が舞台となっているとかを抜きにして、なぜだか大変に懐かしさがくすぐられる感じがたまらない。

作者の上遠野浩平氏が、流行を気にせずに昔の音楽などへ心を震わせるタイプというのが、私にも合っているからなのだろうか。それと、各要素に音楽関係の元ネタが盛り込まれているというのも、知的好奇心がくすぐられて非常に良い。もちろん、ストーリーや登場人物も魅力的である。

そんな音楽関係ネタから、お別れは本作でお馴染みのこの曲で。クラシックも聴いてみなきゃあね。

www.youtube.com