【アニメ】「クジラの子らは砂上に歌う」7話までの、死に対する雑感
以前から、興味はあれどなかなか触れることのなかった漫画作品「クジラの子らは砂上に歌う」(略称はクジ砂)。
この度のアニメ化が触れる好機ということで、現在視聴中である。
事前情報0で見始めたので、最初は「異世界ほのぼの冒険譚」だと高を括っていたのだが、開始3話目で簒奪者による大殺戮が勃発してしまい、今は非常に緊張感に包まれながら視聴を続けている格好だ。TOFのトーティス村かと思った。
そして、ざっくりとした本作の特徴として私が思うことは主に二つある。というより、相反する二つの要素が物語を盛り上げ、独特の世界観を確立させているように感じている。
それは、
・砂上の楼閣のような儚さを感じる柔らかくも優しい輪郭のキャラクター達
・唐突に訪れるキャラ達の苛烈な死の数々
というものだ。
各登場人物が持つどこかふんわりとした雰囲気は、砂を中心とした世界観にぴったりとマッチし、異世界譚としての物語を盛り立てている。また、そのような雰囲気の中に死が纏う緊張感が常に張りつめている作品だからこそ、視聴者は1つ1つの展開に目が離せないし、その先に待ち受けるであろう結末にやきもきし、キャラクターの揺れ動く心情に共感しやすくなる。
個人的にはBSでZガンダムの再放送を同時並行で追っているのだが、「次に誰が死ぬのだろう?」と視聴者に思わせる点で、両者は似ていると言わざるを得ない。
そんなクジ砂では、7話での間にもたくさんのキャラが命を落としていった。
そこで今回は、そんなキャラクター達の死を弔っていくとともに、各キャラの散華がどういって意味を持つのかを好き勝手 でっち上げ 考察していこうと思う。
サミ
主人公の幼馴染であり、互いに好意を抱きつつもなかなか素直になり切れないという、甘酸っぱい関係でもある。
彼女は、アニメ版第2話にて、帝国の襲撃によってあっけなく命を落としてしまう。
どこか頼りない主人公・チャクロを一気に戦いの舞台へと誘うには、近しい存在の悲劇的な死が必要であったのだろう。これにより、特殊な能力であるサイミアの使い手としては落第寸前だったチャクロは、その力を敵との命の駆け引きに使わざるを得なくなってしまった。
平和に暮らしていたチャクロの生活が、サミの死で一気に崩れ去る。敵の急襲の峻烈さ、物語が進んでいく大きなうねり、そのような大きな要素をも包含した「ヒロインの死」を、サミが体現した恰好というように思える。
視聴者をも一気に戦場の空気へと引き込む、衝撃的なこと切れであったことは間違いない。
また、死してなお彼女の存在が物語に生き続けることは間違いなく、チャクロの成長に何らかの影響を与えることだろう。SHINJOの引退宣言みたいなもんすね。合掌。
アイジロ、ブキ
オウニやニビらの仲良しグループ「体内モグラ」の一員。サミと同じく、敵の襲来により3話にて絶命した。アイジロはモサモサでブキはツルッツル。
彼らの死は、スオウの外への憧れであるとか戦いの意思をハッキリと示させ、チャクロの場合と同じくスオウを戦わせる理由として不可避のものであったと思われる。
また、敵側の無慈悲さや強力さを感じさせる、それを打ち払うスオウの強さを際立たせる、というような効果もあった。モブとしての役割を彼らは十二分に全うしたと言え、賛辞を贈られるべきであろう。
ちなみに、ブキが槍とともに壁に突き刺されてしまったシーンは、寄生獣での後藤のヤクザ事務所襲撃シーンを彷彿とさせ、やられ役としての無力なモブゆえの寂しさを感じずにはいられない。
また、アイジロがニビに制止されながらも武器を持って襲い掛かり、あっけなく返り討ちにされるシーンはモブとして王道を走り切った死に様といえ、「見てこいカルロ」案件として、評価され続けてほしいものである。合掌。
タイシャ
チャクロたちの住む「泥クジラ」の市長であり優しい御母堂的な存在だったが、3話の帝国襲撃の際にあっけなく散ってしまった。
彼女の死は、人々を包み込む優しさが暴力で踏みにじられる不条理さを表している。
彼女の後を継いで市長に就任したスオウは、これまた優しい心の持ち主なのだが、力で人々の営みが踏みにじられることに耐え兼ね、帝国と戦うことを決意する。
すっごく雑に言ってしまうと、北斗の拳に出てくる善良なじいさん(拳王軍に虐げられてる)的な存在と言えるのだが、戦場に赴くことに怒りは十分な理由になるという、優しい人間が心底怒ることまでもを許容するような、まさにタイシャ自身の慈愛を体現するかのような、儚い死亡シーンであったように思える。合掌。
ハクジ
いつか来る帝国の襲撃を知っておきながら、それを他言せず、泥クジラを砂中に沈め集団自決しようともした長老会の重鎮。
もちろん、それは理由があってのことだったのだが、結果として彼の方針は人々に反対され、彼は自らのこれまでの考え方に苦悩することとなった。
ただ、彼は悪人ではなかった。そのため、最後は戦いの中で子供たちを敵から庇ってこと切れた。
正直、泥クジラを沈めようとした後にも生き残っていたため浮いていた感は否めず、最後に与えられた見せ場を全うしたという印象である。
しかし最後は未来ある子供たちを守るために、そして不器用な生き方を清算するために彼は散ったのだ。Vガンでのリーンホース特攻を思い出さずにはいられない。合掌。
トクサ
スキロス特攻隊のリーダー。人を褒めるときに頭を撫でるクセがありキャラは立っていたが、伏せられていた敵の攻撃を受けてしまった。
彼の死は、小国の奇襲を受け止める帝国の巧みさ、戦場における素人の戦いがいかに難しいものかを引き立てた。08小隊だったら何とかなっただろうけど、「全員無事で」的なセリフを強調しすぎたことがアダとなってしまった。合掌。
以上で雑感綴り終わり。人死にすぎである。
こんな感じで、スピード感を持って進んでいくクジ砂からは目が離せないが、一方で砂時計のように儚く過ぎ去っていくキャラ達の死を、どこかで覚えていてほしい。
これ以上、戦場における手合わせが合掌につながるのはあまりにも寂しすぎる・・・・。