【音楽】キリンジの切り時が分からない
カラオケの選曲を一度もためらったことの無い人は幸せである。
なぜなら、そこには絶対の遂行力があるからだ。
自分の4,5分間の運命を共にする曲を決定するだけでなく、それを歌いこなし、エンディングまで持っていくという一連の流れ。キャラクター、愛嬌、アドリブ、歌唱力、時流を読む力、デンモク捌き、温度管理、タイムキープ、それら全てを駆使しなければ果たせぬ所業を前にして、多くの人は何らかの理由で、一度はためらってしまうものである。
しかし、私はそのためらいにはどこか「奥ゆかしさ」を感じずにはいられない。
ここでの奥ゆかしさが意味するのは、いわば「自衛手段」としてのためらいである。
例えば、見知らぬ人や会社の同僚との付き合いでのカラオケに引っ張り出された時、自分のスタンスが曲目によって決定されかねない場面で、しばしば選曲にためらいが生じることがあるだろう。また、フロント近くの部屋に通されてしまった時にも、誰に頼まれたわけでもないのに選曲を気にしてしまうこともあるかもしれない。
哀しいかなそういう時には、人々は時に美徳といわれる奥ゆかしさを武器に変え、右手にデンモクを左手にマイクを持ち戦っているのである。
激戦を潜り抜けた、軍人・山本五十六の名言を借りれば、
苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
門脇舞以カバーのPretty Flyが歌い度いこともあるだろう
これらをじつとこらえてゆくのが大人のカラオケである
ということになる(?)。
ためらいの中で人は、善悪の基準がしばしばフラットになり、正解を追い求める探求心に身を焦がされ、くすぐったいような葛藤や気遣い、慎ましさなどの人間味に満たされる。
それはとても美しいことだと思う。ただ、ためらいが生じない時間というのも良い物である。自衛が必要のない許された空間。そして、それを共有できる気心知れた友人たち。私はそんな時を迎えると、ここぞとばかりにキリンジを歌うのである。
ということで今回は、キリンジの楽曲をいくつか挙げ、冒頭の奥ゆかしさ論と少しからめて好き勝手言いたいこと言います。
奥ゆかしさとキリンジ
前置きが大変長くなってしまったが、皆さんはカラオケでキリンジを歌うことはあるだろうか?
私はもちろんあるのだが、正直キリンジを歌うベストタイミングというのが分からない。それこそ、会社の二次会のカラオケとかで気軽に歌えるタイプではないだろう。
なんというか、キリンジの楽曲は全体的に奥ゆかしさを内包している印象があり、選曲の際にはついつい吟味をしてみたくなる。思えば、彼らの楽曲が持つ奥ゆかしさというのは、作品の質の向上を追い求め、売上だけに囚われないための「自衛策」なのではないかという気がしてくる。だとすれば、その大人で落ち着いており、なおかつ盛り上がるところは盛り上がれる楽曲の数々にはうなずける。選曲のタイミングも掴みづらいわけだ。
そうなると、キリンジの楽曲は歌うタイミングというよりも、誰とそれを共有できるか、というところが重要になってくるのではないだろうか。
つまり、カラオケにおいてキリンジに適切な切り時があるとすれば、それは親しい友人や大切な人がいる時であるのだ。そういう意味で、キリンジは親しさのリトマス試験紙だと言えよう。
以下、そんな素敵な楽曲をいくつか挙げ、私に起きた化学反応を細々と記していく。
情景を詳細に頭の中に描くことができる、疾走感がありながらゆったり聴ける一曲。終電を逃しカラオケでオールする際に歌うと、ほのかに自虐的で良い。それか、自分以外が全員寝落ちした、ラストマンスタンディング状態の時に歌うのも楽しい。夜の雰囲気もぴったりだし。
イントロからして立ち込めてくる良曲の予感が、確かに現実へ具現化される良曲である。
晴れの休日に、サンドイッチでもぶら下げて出かけたくなる一曲。
とってもごきげんな感じがするのが嬉しく、まるでおとぎ話を曲として聴いているかのようなくらいに幸せな空気を感じられる。軽やかに街へと駆けだすお供にはうってつけである。
ちなみに、MVに出た喫茶店を求めて江古田まで行ったことがあったが、そのお店が定休日だったことがある。ただ、その隣のお店のモーニングが最高に美味しかったので、まさにグッデイを過ごし、グッバイ出来た思い出がある。この楽曲の秘めた力は凄い。
世界で一番爽やかな「くたばれ」を楽しめる一曲。キリンジ入門にはうってつけで、複雑に張り巡らされたベース音の上を、踊るように独特の歌詞が滑っていく。その歌詞の巧みさとサウンドの心地よさとを堪能できる曲に仕上がっている。明るい曲調で、とっつきやすさを感じられる点も良い。
その落ち着きと静かな盛り上がりとが雨の日にぴったりであり、まるでキリンジを体現しているかのような一曲。憂鬱なようで心躍るような、雨の日に揺れ動く微妙な心情を的確に表現しているように感じる。また、MVに出ているダンサーの川口維さんがべらぼうにカワイイ。思わず雨の中を踊りたくなるような、現代版「雨に唄えば」ともいえる名曲なのではないだろうか。
最後に
上記の他にも、「雨を見くびるな」とか、「かどわかされて」とか、マイナスなように思われる日本語を引っ張り上げてきて楽曲に組み込んでしまうところが好きだ。
かどわかすなんて単語、キリンジで聞くか逆シャアで聞くかの二択だし。きちんと人間の負の部分にもしっかり焦点を当て、それを受け止めて作品に仕上げるというところに好感が持てるし、だからこそ大切な人との包み隠すことのない時間にぴったりなアーティストなのだといえるのではないだろうか。
あと、門脇舞以でオトすために名言を持ち出した山本五十六さんには大変申し訳ないことをしてしまった。
以前に何度か墓前参りを行ったので、どうかお許しください・・・・。