自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【アニメ】「クジラの子らは砂上に歌う」7話までの、死に対する雑感

以前から、興味はあれどなかなか触れることのなかった漫画作品「クジラの子らは砂上に歌う」(略称はクジ砂)。

この度のアニメ化が触れる好機ということで、現在視聴中である。

 

事前情報0で見始めたので、最初は「異世界ほのぼの冒険譚」だと高を括っていたのだが、開始3話目で簒奪者による大殺戮が勃発してしまい、今は非常に緊張感に包まれながら視聴を続けている格好だ。TOFのトーティス村かと思った

そして、ざっくりとした本作の特徴として私が思うことは主に二つある。というより、相反する二つの要素が物語を盛り上げ、独特の世界観を確立させているように感じている。

それは、

・砂上の楼閣のような儚さを感じる柔らかくも優しい輪郭のキャラクター達

・唐突に訪れるキャラ達の苛烈な死の数々

というものだ。

 

各登場人物が持つどこかふんわりとした雰囲気は、砂を中心とした世界観にぴったりとマッチし、異世界譚としての物語を盛り立てている。また、そのような雰囲気の中に死が纏う緊張感が常に張りつめている作品だからこそ、視聴者は1つ1つの展開に目が離せないし、その先に待ち受けるであろう結末にやきもきし、キャラクターの揺れ動く心情に共感しやすくなる。

個人的にはBSでZガンダムの再放送を同時並行で追っているのだが、「次に誰が死ぬのだろう?」と視聴者に思わせる点で、両者は似ていると言わざるを得ない。

 

そんなクジ砂では、7話での間にもたくさんのキャラが命を落としていった。

そこで今回は、そんなキャラクター達の死を弔っていくとともに、各キャラの散華がどういって意味を持つのかを好き勝手 でっち上げ 考察していこうと思う。

 

サミ

主人公の幼馴染であり、互いに好意を抱きつつもなかなか素直になり切れないという、甘酸っぱい関係でもある。

彼女は、アニメ版第2話にて、帝国の襲撃によってあっけなく命を落としてしまう。

どこか頼りない主人公・チャクロを一気に戦いの舞台へと誘うには、近しい存在の悲劇的な死が必要であったのだろう。これにより、特殊な能力であるサイミアの使い手としては落第寸前だったチャクロは、その力を敵との命の駆け引きに使わざるを得なくなってしまった。

平和に暮らしていたチャクロの生活が、サミの死で一気に崩れ去る。敵の急襲の峻烈さ、物語が進んでいく大きなうねり、そのような大きな要素をも包含した「ヒロインの死」を、サミが体現した恰好というように思える。

視聴者をも一気に戦場の空気へと引き込む、衝撃的なこと切れであったことは間違いない。

 

また、死してなお彼女の存在が物語に生き続けることは間違いなく、チャクロの成長に何らかの影響を与えることだろう。SHINJOの引退宣言みたいなもんすね。合掌。

 

 

アイジロ、ブキ

オウニやニビらの仲良しグループ「体内モグラ」の一員。サミと同じく、敵の襲来により3話にて絶命した。アイジロはモサモサでブキはツルッツル。

彼らの死は、スオウの外への憧れであるとか戦いの意思をハッキリと示させ、チャクロの場合と同じくスオウを戦わせる理由として不可避のものであったと思われる。

また、敵側の無慈悲さや強力さを感じさせる、それを打ち払うスオウの強さを際立たせる、というような効果もあった。モブとしての役割を彼らは十二分に全うしたと言え、賛辞を贈られるべきであろう。

ちなみに、ブキが槍とともに壁に突き刺されてしまったシーンは、寄生獣での後藤のヤクザ事務所襲撃シーンを彷彿とさせ、やられ役としての無力なモブゆえの寂しさを感じずにはいられない。

また、アイジロがニビに制止されながらも武器を持って襲い掛かり、あっけなく返り討ちにされるシーンはモブとして王道を走り切った死に様といえ、「見てこいカルロ」案件として、評価され続けてほしいものである。合掌。

 

 

タイシャ

チャクロたちの住む「泥クジラ」の市長であり優しい御母堂的な存在だったが、3話の帝国襲撃の際にあっけなく散ってしまった。

 

彼女の死は、人々を包み込む優しさが暴力で踏みにじられる不条理さを表している。

彼女の後を継いで市長に就任したスオウは、これまた優しい心の持ち主なのだが、力で人々の営みが踏みにじられることに耐え兼ね、帝国と戦うことを決意する。

すっごく雑に言ってしまうと、北斗の拳に出てくる善良なじいさん(拳王軍に虐げられてる)的な存在と言えるのだが、戦場に赴くことに怒りは十分な理由になるという、優しい人間が心底怒ることまでもを許容するような、まさにタイシャ自身の慈愛を体現するかのような、儚い死亡シーンであったように思える。合掌。

 

 

ハクジ

いつか来る帝国の襲撃を知っておきながら、それを他言せず、泥クジラを砂中に沈め集団自決しようともした長老会の重鎮。

もちろん、それは理由があってのことだったのだが、結果として彼の方針は人々に反対され、彼は自らのこれまでの考え方に苦悩することとなった。

ただ、彼は悪人ではなかった。そのため、最後は戦いの中で子供たちを敵から庇ってこと切れた。

 

正直、泥クジラを沈めようとした後にも生き残っていたため浮いていた感は否めず、最後に与えられた見せ場を全うしたという印象である。

しかし最後は未来ある子供たちを守るために、そして不器用な生き方を清算するために彼は散ったのだ。Vガンでのリーンホース特攻を思い出さずにはいられない。合掌。

 

トクサ

スキロス特攻隊のリーダー。人を褒めるときに頭を撫でるクセがありキャラは立っていたが、伏せられていた敵の攻撃を受けてしまった。

彼の死は、小国の奇襲を受け止める帝国の巧みさ、戦場における素人の戦いがいかに難しいものかを引き立てた。08小隊だったら何とかなっただろうけど、「全員無事で」的なセリフを強調しすぎたことがアダとなってしまった。合掌。

 

以上で雑感綴り終わり。人死にすぎである。

こんな感じで、スピード感を持って進んでいくクジ砂からは目が離せないが、一方で砂時計のように儚く過ぎ去っていくキャラ達の死を、どこかで覚えていてほしい。

これ以上、戦場における手合わせが合掌につながるのはあまりにも寂しすぎる・・・・。

【生活】パソコン買い替えで動き出す五指

パソコンが壊れかけたのはいつのことだったろう。

気が付けば、その時から1か月くらいが経過していたようである。

 

その間にもたくさんの出来事が起きた。

特に日本シリーズでの、DeNaソフトバンクとの激闘なんかは印象に残っているし、実際に第一戦は福岡へと観戦に出かけたため思い入れもひとしおである。

福岡へと向かうまでの間、優勝した1998年から今年までの横浜を支えた「報われるべき男たち」的な記事をスマホでポチポチと更新しようとも考えたのだが、どうもスマホだと気分が乗らずにあえなく断念していた。ホセロよ、許してね

 

なんというか、スマホでの文章入力というとどうしてもちんまりとしてしまって、熱量が思うように文字に入っていかない気がするのである。

フリック入力がどうとかでなく、「やっぱり私は我流でバッサバサとキーボードを叩くのが向いているのだな」と、改めて気が付かされた気もする。

素人が好き勝手に書き連ねる当ブログにおいて、せめて熱量だけは大事にして対象に向き合っていたい。例えるならば、黒撰高校の村中魁ばりに五指に力を入れて弾き出した記事を、白装束に身を包んだ水垢離済みの読者諸兄に見極めて頂いて、そこで初めて自己満足が完結するという感じだ。

 

そんなこんなで、日曜のこの時間にのんびりと相撲を流し見しつつ、BGMはKaiser Chiefsをかけながらブログを綴るに至っている。

また明日から仕事の日々が始まるが、その前に貴重な自己表現ツールが一つ復活をしたことは嬉しい。

明日から待ち受ける、数多くの良い日も悪い日ものんびり生きていく。そんな当たり前の意思表示を久々の投稿に代えて。

 

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【生活】雨のハロウィンに似合うコスプレ考

雨が夏を連れ去って行った。

先週の後半になって、天気が崩れたかと思えば一気に気温が下がり、日本列島は完全に秋へとシフトした。ともすると、そのまま冬になってしまうかのような、急行列車のような温度変化である。

 

さて、そんな秋を迎えつつある日本ではハロウィン商戦が熱を帯びている。

灯りを孕んだカボチャが秋らしさを演出し、お菓子たちが色とりどりのリースに囲まれている様は、さながらクリスマスの前哨戦といった様相である。

お菓子が好きな自分は、子供時代にハロウィンでお菓子を回収した経験がないことがとても残念であるが、一方でこの時期に仮装を楽しんだこともない。

そう、ある程度年齢を重ねると、人々の興味はなぜかお菓子から仮装の方へと移っていくらしいのだ。

 

ハロウィンの仮装といえば、日本では渋谷の賑わいが思い出されるだろう。

10月31日の渋谷の街には、思い思いの衣装に身を包んだお菓子難民たちが大量に出現する。彼らの多くは広告会社社員並みのユーモアを持ち合わせていることが多いので、決して尖りすぎない華を意識した仮装で人々(というかメディアの取れ高)を満足させてくれるのだ。あとは、なぜか女子の間でゾンビメイクや負傷メイクが流行っているらしい。おそらく、人食いドラゴンとかハンニバル・レクター対策だろう。最近物騒だもんね(食べても美味しくないことを示す警告色的なテクニックである)。

そんな、仮装に対する下層からのイジりは置いといて、私には「雨の日のハロウィンってみんなどんな感じなのだろう?」という疑問が生じた。こうも雨が多い時期であるので、雨天では仮装をする人々も大変だろうし、せっかくならば雨を味方につけられるコスプレをした方が憂鬱も吹き飛ぶはずである。

ということで今回は、雨のハロウィンに似合うであろうコスプレをいくつか挙げて、好き勝手言いたいこと言おうと思う。

 

「雨は毛布のように」のPVに出てた川口さん

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毛布を操り、素敵なダンスを繰り出してくれる川口維さん。そんな素敵な方を、毛布とワンピースがあれば(格好は)真似できてしまうという手軽さ。時短時代にはうってつけのコスプレである。

独特のダンス表現を磨き、知り合いの兄弟ミュージシャンを連れ出せればなお良し。あと、間違っても無音のなかで踊ってはいけない。なぜなら、タイガーステップを繰り出すザコシショウの動画と完全に一致してしまう恐れがあるからだ。気を付けよう。

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雨に唄えば」の時のジーン・ケリー

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雨に唄えば」は、言わずと知れた名作ミュージカル映画である。またその劇中で、ジーン・ケリーが雨中で踊りだすシーンといえば、これまた世界的に有名だ。

ハットを被り、トラッドなスーツに身を包んだら、傘を開くことなく雨の渋谷へ。雨をものともせずに華麗にステップを踏む様はまさに爽快であろう。また、当日には警察官も複数動員されているため、動画最後のオチまで綺麗に再現できること請け合い。他人への迷惑を避けることと、公務執行妨害に気を付ければ楽しめること間違いなし。

 

 

高橋留美子作品のパンダ

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「ああ、この人中国で泉に落ちたんだな」と一発で伝わる便利さ。ちゃっかり、今年生まれた上野のパンダにも便乗でき、時流への対応力も見せつけられる。泉の解説をしてくれる中国人を連れ出せればなおのこと良い。

 

自宅で諸葛亮のコスプレをしながら読書

劉備の元へと参じるまでは、晴れては田を耕し、雨が降りては本を読む生活をしていた諸葛亮。そんな、草庵時代の諸葛亮を忠実に再現できるコスプレ表現である。

雨が降っているので、31日はおうちで読書。騒乱は外の者に任せよう。もちろん、知人からの三顧の礼があるまでは外に出ないのが望ましく、また純朴な弟が家にいるとことさら良い。本当の龍は渋谷には姿を現さない、そんな武骨な人にこそおススメしたい骨太なコスプレだ。水鏡先生もびっくりな酔狂ぶりである。

 

以上で、コスプレ考は一旦おしまい。

最後に一つ言っておくと、私は10月31日を渋谷で仮装して過ごす人が嫌いというわけではない。ただ、なかには「それなら普通に楽しんだ方が良いのでは?」と思うような、とってつけたコスプレをしている人がいるのも事実だ。そういう人を見ると、少し首を傾げたくなる。

せっかく仮装で自己表現するんなら、変でも上記に挙げたくらい構想にこだわりたいと思うのである。そこには確かに「その人」が存在しているはずなのだ。着飾るとはそういうことだと思う。

 

仮装への構想がなかなかに長くなってしまった。

ただ、このごちゃごちゃ感。人生はいつだってスクランブルなのだ。

【生活】霞食べ平民と近況報告

自分が最近思ったことを交えた近況報告。

 

日々書きたいことは色々と出てくるが、それらがなかなか満足するボリュームにならない。自分の浅さを痛感する次第である。

最近は、文章をブログに書き出すことからも離れていたため、ゆるやかに自分の思いや意見を振り返る機会として、雑多に書き出そうと思う。

 

最近、久しく会ってなかった大学の同期の友達と先輩に顔を合わせる機会があった。嬉しいことである。

同期の子も先輩も物を収拾するタイプで、秋葉原で集まった際には、まんだらけだったり駿河屋だったりに足を運んで、世間話をしながらフィギュアなどを見て回る。

この時間が私は好きなのだが、自分自身では物を買ったりはしない。あくまで、付き添いといった感じで、名使用人かの如くの付かず離れずアクションを披露している(つもり)。

そこで思ったのは、「私は何の趣味にお金を使っているのか?」ということだった。

 

自分自身で答えは分かっていて、それは「食べ物」である。

食べ歩きとまでは動き回らないが、ちょいちょい行きつけのお店や気になるお店に足を運び、様々な食べ物の登場には目を爛々とさせて、自分のペースで余すことなく食事を楽しむ。一見すると素敵な時間である。

ただ、私が同期の子や先輩と比べてしまったのは、「モノ」として残るかそうでないかという点だった。なぜなら、物は収拾された後には、飾られ、使われなどして残るのに対し、食べ物は食べてしまったら終わりであるからだ。

 

もちろん、「食べ物はあなたの血肉となっているのだから、あなたとして立派に残っている」という考え方は出来る。ただ、私の場合はきっと、素敵に過ごした時間に食べた食べ物たちは血肉を通り越して、明日への頑張りとか夢見る気持ちへと変化していると思うのだ。実際、「また次も、こんなに素敵な時間を過ごしたい!」と感激し、単調なお仕事も乗り越えられているように感じている。つまり、「概念」というか「目に見えないし、存在するかも分からないエネルギー」に変貌しているのであった。

結末はハッピーエンドとも食べ物のろけ話とも取れるだろう。結果気が付いたことは、「私って霞食って生きながらえているよね」ということだった。仙人の出来上がりである。

余談ではあるが、「目に見えないエネルギー」だけでは飽き足らない私は、音に気を配りつつも、素敵な食べ物の写真を撮りまくり「モノ」としての存在価値をも見出している。星新一のSSに出てきたら、一発で夢の中で押しつぶされそうな如き欲深。リコール対象の仙人の出来上がりである。

 

☆☆

一昨日、鳥居みゆき著の「夜にはずっと深い夜を」を読了した。

どこかブラックでネジが外れてはいるものの、現実という世界でかろうじて人間として生きている人物がたくさん出てくる不思議な短編集。毎回、必ず寝る前にその世界に触れた。

こういう少しブラックな雰囲気が続く本を読んだ経験は浅かったので、雑に言うと「ヤベーやくしまるひろこの世界観」という感想なのだが、特に私はまえがきとあとがきの文章がとても印象深かった。

本当か嘘かは分からない、それでいて妙に地に足が付いている短文。「これこそが、鳥居みゆきの想像の世界の幅なのでは」と唸ってしまう、ふわりとした離陸と着地を味わえる。引用なんていうケチなことはしないので、ぜひ一見していただきたいと思う。

 

☆☆☆

昨日、1本満足バーを買った。

もちろん、食べる前にはCMみたく踊ってから食べた。それがとても楽しいのだ。

久々のブログ記事も書き終え、まさに「1本」で満足なのだ。そんな近況。

【生活】今まで提唱した「○○、SASUKE説」を羅列

水曜日のダウンタウン」が人気になって久しい。

私自身は、「タージンちくわぶ、関西と関東で知名度真逆説」しか見たことないが(ちょうどタージンさんが出稼ぎ来てたくらいの頃かな)、かなり挑戦に意欲的な内容という印象だ。一般大衆にはもちろん、うるさ型のハガキ職人などの方々にもウケる実力を持った良い番組であると思う。

 

さて、そんな「水曜日のダウンタウン」で「金田一のトリック アクロバティックすぎてほぼSASUKE説」という一説が提唱されていたのをご存じだろうか?

かくいう私は最近知ったのだが、これが全くの不覚であった。

というのも、以前からTwitter上でちょくちょく「○○、SASUKE説」というのを提唱しているのだが、その1番古いものが水曜日のダウンタウンでのSASUKE説オンエア日よりも新しかったからなのだ。知らなかったんだよぉ・・・・。(CV.真柴真利)

 

しかし、自信を持って言えるのは、水曜日のダウンタウンよりも多くのSASUKE説を提唱していることである。これに関しては断言できる。

ということで今回は、正直全くバズっていないSASUKE説をサルベージし、皆さんのお目にかけると共に、過剰な手前味噌も含めて好き勝手言いたいことを言おうと思う。

 

就活、SASUKE説

就活、SASUKE説
・3rdの次がファイナル
・多くの人が落ちる
・黒スーツの集団(黒虎)
・第一志望の思いをぶつける(SASUKEしかないんですよ…)
・靴にうるさい」

 

記念すべき第一説目は、非常にコンパクトにまとまっている。

厳密にツッコむと、決して黒虎は黒スーツを着ない集団なのだが、それを言ってはこの説は全部オシャカになってしまう。靴の営業・漆原や山田勝己の足袋騒動を連想させるオチが付いている点は良い。

 

新社会人SASUKE説

新社会人SASUKE説
・1年目はミスも多いが、比較的責任は軽い→1stステージは、脱落者・クリア者共に多い
・1年目に壁は付き物。乗り越えられないと、辞める人もいる→そり立つ壁
・先輩が背中を押してくれる→オールスターズの儀式
・アジア人留学生→リー・エンチ
・靴にうるさい」

就活→入社という華麗なコンボを見せつけた二説目。個人的にはリー・エンチの下りをやりたかっただけである。ちゃっかり二連続靴オチ。

 

通勤電車SASUKE説

通勤電車SASUKE説
女性専用車両KUNOICHI
・つり革をつかめずに走行時の衝撃をモロに受ける→メタルスピン
・乳酸地獄
・降り口は右側です→3rdステージ
・落し物、お忘れ物にご注意ください→山本進悟は帽子を毎回落とす
・緑(のマークの)山(手線)」

就活→入社→通勤という、社会人生活との抜群の相性を見せつけるSASUKE。ちょっとしたプロレタリア文学である。

KUNOICHIというふわっとしたボケから入り、オールスターズの皆勤賞である山本を押さえるという渋さも見せつけた三説目。オチが、ご存じSASUKEの聖地・緑山という点にも注目である。

 

ハリウッドSASUKE説

ハリウッドSASUKE説

スパイダーマン→スパイダーウォークやジャンピングスパイダーのオマージュ
市民ケーン→SASUKEはとっくに市民権を得ている
雨に唄えば→SASUKEの出演者もだいたい濡れてる
スピルバーグ→リーヴァイ・ミューエンバーグ
・セット制作にうるさい」

四説目は、就労の枠を飛び越えて海外へ。フツーにアメリカでは「Ninja Warrior」という名前でSASUKEが親しまれているので、若干間違いではない説なのかもしれない。

海外勢・リーヴァイの名前でだいぶ文字数を消費したため、説自体のボリュームは控え目であると言える。ちなみに、一番言いたかったのは市民ケーンの下り。

 

けいおん!SASUKE説

けいおん!SASUKE説

・どちらもTBS系列
・バンドメンバーが全員女の子→SASUKEオールスターズは全員男の子であり、彼らのパラレルワールドを表現している
・本番前によく合宿をしている
・君を見てると いつもハートドキドキ→たこ店長の五段跳び
・毛ガニの秋山(澪)」

「とんでもない説を発見したぞ!」と意気揚々と提唱した五説目は、なんと深夜アニメコラボである。

全体を通して見ると、「・本番前によく合宿をしている」という一文はシンプルでありながら鋭いように思えるが、苦しい感が否めない一説と言えるのではなかろうか。

澪ちゃんが、苗字が秋山というだけでオチに使われてしまったと思うと、我ながら少し不憫でもある。

 

石田三成SASUKE説

石田三成SASUKE説
・三献茶→SASUKEも1stから3rdにかけて、徐々に熱くなっていく
五奉行(六人の説もある)→SASUKEオールスターズ(ひろみちお兄さんを加えた7人の説もある)
忍城への水攻め→鋼鉄の魔城も水を湛えている
・SAKICHI」

SASUKEが繋ぐのは、人々の縁や想い、そして異文化圏の人との絆だけではなく過去の偉人も対象なのだという可能性を示す六説目。

しかし、三献茶のくだりはお気に入りなのだが、オチがSAKICHIという体たらくぶりで、製作者のやっつけ感が窺える。

あと、のぼうの城」読了直後だというのも一発でバレそうな出来上がりである。面白かったけど。

 

初代ポケモンSASUKE説

初代ポケモンSASUKE説
・りかけいのおとこ→サスケ君は理系
・おしてみよう ポチッとな!→ステージクリアに必要
・ひこうタイプ→川口は昔、非行タイプだった
・サファリパーク→SASUKEPARK
・あ!やせいの…→野生バレエダンサー
・(おつき)緑山」

前回の体たらくぶりを払拭するかのような、ボリューミーで練られた感のある七説目。

「おしてみよう ポチッとな!」のくだりも好きだが、オチの「(おつき)緑山」という一言の、強引且つ繊細な締め方も魅力。

それと、昔少しやんちゃだった川口をやんわりといじっているが、彼は親孝行だし好青年でもあるので、「非行タイプ」は言い過ぎでした。ごめんなさい。

そういう意味では、彼はちゃんと進化して世に羽ばたいた、立派な「飛行タイプ」であったと言えよう。あと、野生バレエダンサーはその字面と存在が好き

 

けものフレンズSASUKE説

けものフレンズSASUKE説
ジャパリパーク→SASUKEパーク
・ジャンプ力ぅ…ですかね→ジャンプハング
・フレンズなんだね!→出場者は皆、SASUKE啓蒙のフレンズ
・サー(ド進出目指し頑)張る(黒)虎」

流行りに乗っかりバズると思いきや大コケで終わった八説目。欲を言えば、「比嘉さん(SASUKEパークの職員さん)」の名も挙げたかった。

ちゃんとOPの要素も取り入れており(はてなブログなので泣く泣くカット)、SASUKE啓蒙のフレンズというワードも織り交ぜたのだが、サーバルのところでカッコの入れ方をミスったので詰めの甘さが露呈している。虎じゃあないもんね。

 

 

以上が、私がこれまで提唱したインチキSASUKE説の全てであり、八説目が現時点では最新の説である。

そして、今後は更に説の追求を行うと共に、SASUKEに注視し愛を持って見守って行こうと思う。

ただ改めて思うと、もしもSASUKE学会に身を置いてたら、即刻除籍処分だろうな・・・・。

【音楽】マンションに思うこと、そこで聴きたい曲

夜の退勤電車。

周囲の暗さはすっかりと人々の顔に張り付き、気付くまいとしている疲れの意識を、車内の圧迫感が押し付けるかのように実感させてくる。

体力を減らしながら電車に揺られるという義務を果たした私は、目的の駅に着くとほうぼうの体で電車と決別をし、救いでも求めるかのようにふと川の方に視線を向ける。するといつも、川沿いに建てられたマンションに灯る明かりが、さながら蜃気楼のように目に飛び込んでくる。私はこの景色を見るのが好きだ。

 

内部が見えるわけではない各部屋に、白系や橙系の照明が灯る。あるいは、家主の帰りを待つ真っ暗な部屋もある。

どの部屋でも、異なる人間がそれぞれの時間を過ごしているであろう光景を第三者として眺めるとき、私はそこに数多のパラレルワールドの存在を感じずにいられない。

各個の選択の結果がマンションの光景に現れ、静かな川の流れは止めどない時間の経過を連想させる。そして、それをぼぅっと眺めている瞬間だけ、疲れが私の身体をふんわりと包み、空想と同化させてくれる気がするのだ。人々の選択の連続が世界を造るその一瞬で、唐突に殴られるのが好きともいえる。疲れ切ったサラリーマンには、それに抗う気力などはないのだが、明日もちょっとだけ頑張って行こうと思える景色が私は好きなのだ。

 

今回は、そんなマンションの一室で聴きたいと思ってる楽曲たちを挙げて、言いたいことを言っていく。

 

家々~撰ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり/nobodyknows+

www.sonymusic.co.jp

ココロオドル」で名を馳せたヒップホップグループが紡いだ一曲。

なんとも独特な雰囲気の曲だが、なぜか初めて聴いた時からずっと「マンションの一室感」を覚えていた。どことなく溢れてくる生活感というか、都市での生活を思わず想起してしまうような魅力があり、心なしかタイトルもマンションとリンクしているような気がするからだ。それでいて、マンションの建造物としての無機質な冷たい感じもよく表現されている気もしてならない。

彼らのちょっと変わり種な一曲は、マンション生活者の等身大の姿を映し出しているのかもしれない。

 

Ryuusei/TiA


Naruto- Ryuusei

NARUTOのエンディングとして起用された一曲。エンディング映像からはアニメーターの本気が垣間見えるのが嬉しい。

曲自体は大変に落ち着いたポップサウンドで、夜にうってつけな曲調である。

マンションの一室から外の夜景を見る瞬間、その日の疲れを癒してくれるような良質なサウンドであると思う。

なんともオシャレな高層マンションでこの曲をかけて、何か冷たいお酒でも頂きながら、流星が堕ちた後もきらめいているような明かりたちを眺めたいものである。そして、それを決して邪魔しないような気の利いた清廉さがこの曲には確かにある。

 

Beautiful World/宇多田ヒカル


宇多田光 Utada Hikaru - Beautiful World. Heart Station. 480p

こちらは、劇場版エヴァンゲリオンの主題歌として有名な一曲。

宇多田ヒカルのクリアな歌声が生きた、オシャレな名曲であることは間違いないが、どことなくはかなさを感じる。

「Beautiful World」という、正に人間が生み出したマンションという幻想郷が持つ人工物としての脆さやはかなさが、曲から浮かび上がるような錯覚に陥ってしまう。マンションの美しさが持つ意味を考えさせてくれる、含蓄に満ちた一曲であると言えよう。スリードも甚だしいね。

 

Melting point/capsule


Melting point

マンションとは、一見集合体であるようで、実際にはそれぞれの居住空間がはっきりと独立している。そして、そこには周囲から解き放たれたそれぞれの安らぎの空間が存在しているのだ。安らぎを感じられることこそ、「家」の持つ本質ではないだろうか。

落ち着いたピアノが奏でるこの曲こそ、そのような本質をマンションの一室でも強く思い出させてくれる気がする。決して、オシャレピアノ曲なら何でも合うんじゃねぇか?とか言ってはいけない

 

以上で、雑ではあるが言いたいことは終了である。

マンションではなく一軒家にて書き連ねた文章なので、至らない点も多々あると思うが、そこはそれぞれの管理人さんに相談してください。我が家に自治会はないため、自(ら)治(る)可能性は極めて低い・・・・。

【サッカー】日豪戦と、私がサッカルーズを好きな理由

 

私は、サッカーのオーストラリア代表が好きだ。

勿論、日本代表のことが好きじゃないわけではなく、ただ圧倒的にオーストラリア代表を好きな気持ちが上回っているだけである。

そんな私は、例えばジェディナクがPKを決めれば喜び、レッキーがガンガンに攻めあがっていくのを見れば興奮するわけで、31日の日本戦もテレビで観戦をした。

 

当初、両チームの実力は互角だと言われ、期待されたのは拮抗した試合展開であったろう。

また、(特にアジア圏内で)フィジカルを押し出したサッカーをするオーストラリアが、今までのスタイルを変え、ポゼッションを重視した試合運びをする点も注目されていた。

しかし、蓋を開けてみれば、細かいボールタッチであったり連携は日本の方が優れており、その点オーストラリアには粗さが目立ったように思える。そこは残念でならない。

ということで今回は、先日のW杯アジア最終予選、日本対豪州戦をテキトーに振り返りつつ、私がサッカーオーストラリア代表(愛称・サッカルーズ)を好きな理由を懇々と語ります。

 

日豪戦ハイライト

冒頭では、「サッカーの英知を授けられた筆者が、鋭く日豪戦を斬る」的な匂わせ文を書いてしまったわけだが、私はサッカーの細かい戦術論は一切わからない。

また、野球をずっと観戦してきたせいなのか、全体での各選手の動きを捉えるのが苦手である。そのため、90分を通しての各選手の動きの良し悪しなどもよく分からない。視野が狭いのである。いわば、知識がクリーンシートされてる状態なのである。

そのため、振り返りがイメージ論主体になってしまうことへの、ご理解とご協力をお願いします。

 

まずは、サッカルーズの攻撃陣を振り返る。

初めに言ってしまえば、彼らは今回見せ場を作ることができなかった。

ワントップにはロビー・クルーズ。彼は前回のW杯ではバリバリのレギュラーで、サイドアタッカーを務めていた選手。

その脇を固めたのが、今や前線の主力ともいえるマシュー・レッキーと、かつてはリバプールに所属した新進気鋭のブラッド・スミス。

2列目には名門セルティックで活躍するトリッカー、トム・ロギッチと快足が売りのジェームス・トロイージがそれぞれ布陣を敷いていた。

 

パッと彼らの名前を見るに、高さで勝負する選手が並ぶわけではなく、どちらかといえば連携で崩せる選手が多かった印象だ。

本来ならばクルーズの位置に、ポストプレイも出来るトミ・ユリッチという選手が座るのだが、この日は負傷のために後半からの出場となる。

 

攻撃陣の、「パスでつないでいく」という意識は確かに感じられた。それは、これまでの「バッスバスとロングボールを前線に放り込み、高さでゴリ押す」スタイルとの決別を意味しており、ポステコグルー監督がコンフェデ杯で戦術としての自信を高めてきた証でもあった。

ただ、今回の試合ではその良さは出ず、攻めの決め手を欠いていたという様が見て取れた。

 

例えば、後半にユリッチとケーヒルを投入した直後のCKの場面で、サッカルーズがグラウンダーのクロスを選択したことには疑問が残る。

チームの意図を汲み取ったキッカーの判断かは不明だが、一定のポゼッションを保ちつつ、ゴール前では高さを見せても良かったのではと思うのだ。

少なくともあの場面では、フワリと上がるクロスで勝負しても良かったのではないかと感じたのだ。乱戦でこぼれたボールをミドルで突き刺せる選手もいたはずである。

また、相手陣地へ攻め込んでからのボール交換やドリブルなども、タイミングが合わなかったり、一旦ボールを下げてしまったりと、ゴールを脅かすにはなかなか至れなかった。

そういう点では、日本の素晴らしいクロスとDF陣を出し抜くスピードとを活かされた1点目と、中央にドリブルで切り込んで決められた2点目などは、まさにサッカルーズが理想とするゴールの形を体現していたように思える。

 

次に守備陣である。

ボランチの位置には、アジアカップで名を轟かせたマッシモ・ルオンゴと、アンダーからの代表で将来を嘱望されるジャクソン・アーヴァインとが起用され、3バックの位置には、長く代表で活躍するマーク・ミリガン、高さのあるマシュー・スピラノビッチインテルに所属経験のある守備陣のホープトレント・セインズバリーとが並んだ。

本来、ルオンゴもアーヴァインも高い位置でプレーする選手であるが、不動の中盤であるジェディナクはケガで離脱し、新星アーロン・ムーイもこの日はベンチにも姿を見せなかったため、この位置でのプレーを余儀なくされた。

 

監督の狙いを考えるに、ここは攻撃重視の布陣であったのだろうか。

ミリガンをボランチに、サイドバックにはライトやデゲネクを起用するパターンもあったはずだが、中盤からでも攻撃的にボールを供給できるフォーメーションではあったからだ。

ただ、ルオンゴもアーヴァインもまだ若く不慣れさはあっただろうし、ゲームコントロールが出来ていたようには見えなかった。

日本のスピードある攻撃陣に翻弄されてしまったというのが、正直なところなのではなかっただろうか。浅野のゴールシーンとか、アジアカップ李忠成を思い出しちゃったよ。

 

勿論、守備陣形にも革新が見られ、3バック体制もポステコグルー監督が推し進める事柄の一つだ。

攻守共々、今回は怪我人に翻弄された面もあるだろうが、若い選手が代表の舞台を経験しつつあるサッカルーズには未来があり、日本戦からは収穫と課題とをを得なくてはいけないのでは、という風に感じられた。

 

私はこうしてサッカルーズを好きになりました

私がサッカルーズを愛してやまない理由は至極単純だ。

それは、ハリー・キューウェルがこの世界で一番好きなサッカー選手であるからだ。

 


Harry Kewell Career Montage 1996 - 2014

彼は、オーストラリアサッカー界でもレジェンド中のレジェンドであり、その証拠に確か、彼の名前を冠した子供向けサッカースクールがあったりしたような気もする。

彼のプレーには何とも華があり、キレッキレのドリブル、ロングもボレーもヘッドも行けちゃうシュート力、人の良さが滲み出ている二枚目フェイス、イギリスでの確かな実績、代表に君臨し続けたカリスマ性、その全てが私を魅了した。

なので、毎年発表されるバロンドールは、私部門では永遠に1位なのである。(次点はチラベルト

そんな彼は、すでに代表も現役も引退してしまったが、彼がオーストラリア代表にいたという事実が私の中では重要で、いつしか彼だけでなく代表も応援するようになったのだ。

ちなみに、キューウェルの代表戦で印象に残る活躍は、前々回のアジアカップ準決勝のイラク戦。

両者決め手に欠けた展開で延長にまで突入し、PK戦での決着かと思われた瞬間、ブリスベンの象徴マット・マッカイが前線へとクロスを放り、それに走りこんだキューウェルが頭で流し込んで決着。

唖然とするイラクの選手たちも印象的だったが、サラッとゴールを決めて上半身のユニフォームを脱いだ彼があまりにも格好良すぎて、初めて「抱かれても良い」と思った瞬間でもあった。


Harry Kewell puts the socceroos into the semi finals of the asian cup

 

他にも、色んなルーツを持つ選手が見られるという点も、サッカルーズを好きな理由である。

さすがは移民国家のオーストラリアと言えるが、実に多彩なルーツを持ちながら、代表にいる選手が多い。かつてはアボリジニをルーツに持つ選手もいたっけ。

例えば、かつての守護神シュウォーツァーはドイツ系だし、ドイツ杯で日本相手にゴールを決めたアロイージはイタリア系、現役代表のケーヒルサモアにルーツを持っているなどなど。

日本にもそういう選手はいるだろうが、オーストラリアはその比ではなく多い。それだけ多彩な才能が集まるチームともいえ、まだ見ぬ英傑を求めて、私はサッカルーズを応援している。

 

今後も日本とは好敵手として渡り合い、互いに刺激を与えつつアジアのレベルアップに寄与できれば最高である。

第二のキューウェルが現れるその日まで、私がサッカルーズを追い続ける日々は終わらない。・・・・いや、トミー・オアはマジでどうしてるんだよ!?