自己表現ぶろぐ

会社では冴えない社会人が、ネット弁慶になるためのブログ。好きなものや興味のあるものの感想を、ちまちま書きます。

【生活】自販機ノスタルジー

私の街には、大塚製薬の自販機が一つしかない。

公式なデータも数字もないけれど、きっとそうに決まってる。こんなに小さい街の自販機勢力図は、そうそう変わりはしないのだから。

自転車を漕ぎながら、私はそんなことを考えていた。

 

 数日前からのどの痛みがあり、放っておくと熱が出てしまうタイプの私は、休日の午前を病院での診察に充てた。

電動自転車を漕ぎながら病院へ向かい、世間話もそこそこに喉を診てもらう。処方された薬を受け取ったところで、今晩は禁酒令が発令されてしまったことに気が付いてしまった。

13時には駅から電車で発たなくてはいけなかったが、診察が終わって病院を出ると幸いにも少し時間が余っていた。眼前には、暑さでゆらめく田畑が不満げに居座り、周囲にはそれを諌めるでも歓迎するでもなく、のどかな住宅地の様相が広がっている。

うだる暑さと郷里の情景との間に立って、私はふと「昔の通学路を走ってみよう」という気分になった。幸運なことに帰りも自転車である。

ペダルに足をかけると、過ぎ去った時間を追いかけるように足が動き、タイヤの回転数を徐々に上げていった。

 

結論から言うと、通学路は何も変わっていなかった。

住宅がいくつか姿を変え、遊びまわった公園が少々古ぼけていた以外は、私の記憶が具現化させたような風景が流れていき、記憶の主を満足させた。

 

そこで私は、その記憶の端々に自販機の存在があることに気が付いた。

例えば、「あそこにキリンの自販機があったな」とか、「まだあの自販機はあるかな」とか、「この自販機で昔、暑い中炭酸買ったな」といった思い出が、ことあるごとにフラッと顔を出すのだ。

暑さのせいかもしれないが、そこにはお金がなかった学生時分の渇望が確かに感じられた。何もかもが冒険で新鮮だったあの頃、メーカーごとで品ぞろえが違う自販機は渇いた我々には宝の箱で、それらを追い求めることに何の躊躇も疲れもなかった。

ただ、毎回商品を買うだけの経済的余裕はなかったがために、買った買わないの思い出一つ一つがとても輝いているのだろう。そうも感じた。

 

「そうだ、あれを買おう!」

思い出がいくつか去来したあとで、たった一つの自販機と商品のことが私の頭の中には残っていた。この時をずっと待っていたかのように。

 

ファイブミニプラス。大塚製薬の自販機で販売されている、ビンに入ったオレンジ色の飲み物である。

サイズはそれほど大きくなく、自販機のラインナップの中でもこじんまりと佇んでいたことから、どこか「あれを買うのは大人だ」という思いがあった。ポカリやマッチといったライバルたちの存在も、ファイブミニプラスの地味さを強めてしまっていただろう。

ただ、なぜか炭酸とも思えないような色合いと、どこかひとクセあるような大塚製薬の自販機商品という2点が、私の興味を引きたてていたことも確かだった。そして、そのことが一気に私の脳内で目覚めを得た。こうなると、もう買いに走るしかなかった。

 

自販機の場所は、かつて何度も目の前を通ったクリーニング屋の隣。

遠目から見ても分かる位置に、まだその自販機は存在していた。

中段の右端。そこがファイブミニプラスの定位置だった。

ポカリスウェットのラベル独特のブルー、マッチの蛍光色の黄色、ジャワティーの控え目な色彩、私の目はそれらを受け止めつつも、唯一無二の橙色を捉えようとする。

しかし、そこにはすでにファイブミニプラスの姿はなかった。

私は、いつでもファイブミニプラスを買えるような人間になって初めて、ボタンを押すまでは何も手に入らないという真理を思い知らされたのだ。

 

昔と変わらないと思っていた街並みは、確かに時を刻んでいた。

時が経って私が変わったのと同じようにこの街も変わっていて、一つの商品が自販機から消えたことも、確かに街の変革の一翼をになっていたのである。

ただ、最終的に私は何も自販機で買わなかったが、決して悲観的になることはなかった。

なぜなら、この街に唯一の大塚製薬の自販機がある限り、そこにまたファイブミニプラスの姿を拝むことができるかもしれず、その時には迷わずボタンを押せる大人であろうと、小さくも確かに心で誓ったからである。

 

あとがき

トンカツ慕情のファイブミニプラス版(?)だと言われてしまえばそれまでだが、意外に昔の自販機のラインナップって覚えているものである。(もちろん、路地裏でボッコボコにされて、通りがかりの叔父さんにファイブミニプラス奢ってもらってはない)

あの頃は自由に飲み物が買えなかったからこそ、自然と憧れみたいなものが生じていたのかもしれない。

そんな小さい頃のドキドキとかを思い出して、今回は少し語ってしまったわけなのですが、昔の思い出とか諸々ひっくるめつつ未来に生きていきたいという思いを込めて、この曲でさようなら。

 


なんとなく僕たちは大人になるんだ/銀杏BOYZ

【生活】困った大学生たちを三国志に置き換えてハッピーライフ

日本の大学が増えている。

これは決してイメージなどではない。我々の目の前に出現している現実問題だ。(主に私立大学が増えていることが分かる)

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1368900.htm (文部科学統計要覧平成28年度版)より

 

決して広いとは言えないこの日本において、それぞれ個性を持った大学同士がしのぎを削り、生徒の確保と大学の存続とを画策しあっているのである。

まさに、世は空前の大学設立ブームと言って差し支えなく、増え続ける大学の実態を完全に掌握するのは至難の業であると思われる。それこそ、幾人もの英雄たちが立ち上がっては消えていった、「群雄割拠」と呼ぶに相違ない三国志時代を彷彿とさせる。

 

前置きはさておき、話題の中心はそこへと通う大学生たちへと移る。

私の住む街はいわゆる学生街であり、周辺を歩けばそれらしい若者を見つけることは容易だ。少し離れているが大学もあることから、日常的に大学生が近くにいる生活を送っている。良く言えば希望と若さとに満ち溢れた、活気のある街での暮らしを送っているといっても良いだろう。

 

しかし残念なことに、彼らが若さゆえか「ちょっとどうなんだ?」と思ってしまうような行動を取ることがある。

そういうことがあるのは仕方がないとは思う。私も昔はそんな感じの学生だと思われていたかもしれないし。

だが、少し危なっかしいような場面もあったりするため、心中はモヤモヤしている。ただ、注意して止める程ではないために、このモヤモヤ晴らさでおくべきか、という微妙に擦れ動く乙女(お止め)心のような感情の行き場に困っていた。

 

そこで今回の記事では、最近の諸大学が「群雄割拠」してるということで、困った学生たちの問題行動を紹介し、それを三国志になぞらえて適当に対処法を考案していこうと思う。モヤモヤを晴らすにはうってつけ。まさに、していこう推薦である。シラフです。

 

・大学近くの通りで横並びになり、自動車の通行を妨げる

これは大変である。下手をすれば、車との接触ということも考えられる。

しかし、彼らが鶴翼の陣を展開していると思えば、「そうか~、末端の兵士は指揮官の命令には絶対だしな~」とか、「彼らの指揮官は鶴翼が得意なのかな~」といった想像にたどり着き、長蛇の陣形が苦手な指揮官を持ったが故の悲しい白兵戦と割り切ることができる。それに、「こっちは(自動)車懸だぞ!」と思えば、少し優越感にも浸れるので、余裕をもって運転することにも繋がるのである。

 

・サークルかなんかの飲み会後に、駅周辺で声あげたりしてちょっと煩い

サークルで飲み会をするのは楽しい。それに、別れが名残惜しいのも分かる。ただ、やっぱり迷惑なのである。駅前だし。

しかし、彼らが隊士気を上げるために発声で鼓舞しあっていると思えば、「そうか~、戦が近いのかな~」とか、「彼らの指揮官はチームを大切にしてるのかな~」といった想像にたどり着き、彼らを戦前に別れを惜しむ悲しきソルジャーたちと割り切ることができる。それに、最近では「意識高い系」という言葉が世に出回っているので、そろそろ駅前で騒いでる小隊のような「士気高い系」な学生が生じてもおかしくはないと思う。ただ、そういう連中はたいてい指揮系統が適当なため、「指揮他界系」でもあるのが玉に瑕だ。

 

・飲み会後に、そこら辺に吐いたりしてる

大人でも、演義での張飛や淳于瓊のように酒で失敗する者もいる。ましてや経験の浅い若者にとって、酒は曲者であるといえよう。そのため、飲み過ぎたあかつきには必ず良くない結果が訪れるものだ。経験不足とはいえ、しっかりとした対処はしてほしいものである。特に春先、駅前が華の舞しちゃうのは見るに耐えない。

しかし、彼らが傷病兵、あるいは守りを固めた司馬懿を挑発するためにあえて吐いてる様を見せていると思えば、「そうか~、北伐やってんのかな~」とか、「衛生兵は忙しそうだな~」といった想像にたどり着き、彼らを北伐で魏と対峙し疲弊した蜀兵だと割り切ることができる。それに、「戦時に酒が飲める時代なんて、良い時代じゃないか」とも感じられ、ほっこりした気持ちに繋がるのである。

 

・勉強をおろそかにしてしまい、単位を落としまくる

これには私は、直接なんらかの被害を被ってはいないので何の関係もない。だが、誰も得しないこんな現象はこの世から減るべきだと切に願う。

しかし、彼らが陥陣営・高順だと思えば、「その名に違わぬな~」とか、「可否(下邳)の戦いでは奮戦及ばずだったしな~」といった想像にたどり着き、テストには挑戦(貂蝉する攻勢(侯成)には出たものの精錬(成廉)してなかったがために、超爆(張邈)死したのだと理解することができる。適度に遊び、適度に学ぼう。

 

以上で、溜飲下げ下げの儀は終了である。三国志との関係性薄くなかった?

個人的には、高順の名前が出せたのでもう満足。そして、大学生諸君にはミスもしつつ、将来的には素敵な大人になって欲しいと願うばかりである。

臥龍鳳雛も、結局のところ未来ある若者に冠するのが一番ふさわしい言葉なのだから。

【音楽】塊フォルテッシモ魂こそ、最強の「塊」で「魂」である。

「塵も積もれば山となる」という言葉がそのままゲームになっちゃったような、ナムコ発の天才的ゲームタイトルこそ「塊魂」である。

単純明快な操作性と、どこか怪しげな登場人物たちや街の人々、そして次々と巻き込まれていく森羅万象とが相まって、その独特さは他の追随を許さない。今なお、国内外問わず多くのファンに愛されるビッグタイトルとして有名だ。

 

そんな塊魂の魅力の一つに、プレイ中に流れるゲーム内音楽の存在が挙げられる。

ボーカルがない楽曲も良いのだが、特にボーカル付きの楽曲の場合は、そのどれもが大変にハイクオリティである。

あくまでプレイ中のBGMという扱いではあるものの、豪華歌手陣による圧倒的なボリュームを誇る歌の数々には思わず気を取られて聴き入ってしまい、誕生日プレゼントとしてサントラを購入してもらった覚えがある。即断即決であった。

 

今回はそんな塊魂の素敵楽曲を、サウンドトラック「塊フォルテッシモ魂」より紹介していき、好き勝手に言いたいことを言おうと思う。

 

・ナナナン魂‐ゆうさま


ナナナン塊(Katamari Nah-Nah) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

塊魂といえばこの曲。この曲こそ塊魂における原初の音楽である。というのも、プレーヤーがまず真っ先に聴く曲がこれだからだ。

初めにどのセーブデータで遊ぶかを選択する際に、この曲がどこからともなく流れてくる。その曲を歌う不思議で怪しい声の主は、「ナン」と「ドゥンドゥク」という2種類の言葉のみでプレイヤーに迫る。まるで、持ち球がストレートとカーブのみという、パワプロでの江川卓である。

早く先へ進みたいと思わせる一方で、もうちょっと聴いていたいとも思わせる、二面的な魅力を持った一曲であると言えよう。

 

・塊オンザロック‐田中雅之


塊オンザロック~メインテーマ(Katamari on the Rocks ~ Main Theme) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

ナナナン魂の流れそのままに、更にそれを壮大にした感じのするメインテーマ。

OP映像から繰り広げられる、塊魂のカオスな世界観を受け止めるだけの力強さをこの曲に感じさせるのは、田中雅之のボーカルあってこそである。

またサビにおいて、「塊魂」という単語が贅沢なくらいに繰り返されており、それもメインテーマとしての地位を確固たるものにしているといえる。

 

・月と王子‐新沼謙治


月と王子(The Moon & The Prince) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

演歌歌手である新沼謙治がラップに挑戦するという、とんでもなくレアでそれでいて熱い一曲。

色物ソングかと思いきや、聴いてみると前向きなリリックがとめどなく溢れ出てきて、しっかりとした応援ソングに仕上がっている。また、決して流暢とは言えないものの、一生懸命さが伝わる新沼謙治の英語の発音が、クセになるばかりでなく胸を打つ。

そもそも、このゲーム自体何でもありのフリースタイルダンジョンって感じなので、演歌歌手とラップという組み合わせが見事に融合するのも頷ける。いつか、吉幾三とラップで共演してほしいものである。

 

・Lonely Rolling Star-椛田早紀


Katamari Damacy Soundtrack - 05 - Lonely Rolling Star

女性ボーカルの可愛らしい、それでいて落ち着いた雰囲気の良曲。

散りばめられたピコピコ音もボーカルの可愛らしさを良く引き立てており、全体的に完成度が高い。前述の「月と王子」とは違う雰囲気ではあるが、こちらも前を向く元気を貰える一曲だ。

 

・Katamari Mambo~塊シンドロームMix‐松原のぶえ&坂本ちゃん


【塊魂】katamari mambo ~塊シンドロームmix

こちらは、演歌歌手の松原のぶえとタレントの坂本ちゃんとのデュエットソング。

マンボなのに終始演歌チックな歌唱の松原のぶえと、終始やかましい(良い意味で)坂本ちゃんの合いの手とのコラボが面白い。

艶めかしいようなチャカポコ具合が、この楽曲を最高に怪しい雰囲気に仕上げているが、そこは実力派の松原のぶえが安定感を与えており、絶妙なバランスを保っている。

一度聴いたら忘れられない、印象的な一曲だと言えよう。

 

・真っ赤なバラとジントニック水森亜土


真っ赤なバラとジントニック(Gin & Tonic & Red Red Roses) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

ジャズ調の音楽に乗せて流れてくる水森亜土スキャットが軽快で心地よい。

彼女の声は自由に飛び跳ねていて、歌い方がジャズにぴったり。そして、バックの演奏はまるで転げ落ちそうなくらいにノリノリなのだが、それ以上に水森亜土がノリノリなため、安心して見ていられる綱渡りのような快いむず痒さを聴く者に生じさせる。

パッと聴いただけでは、「ジントニックって感じか?」と思ってしまうが、愉快なスキャットは炭酸はじけるトニックウォーター、そしてバックの渋みの効いたジャズはライムのほろ苦さ、落ち着きが無いようで絶妙に楽曲がまとまっている様は抑えの利いたジンの香りをそれぞれ連想するに難くない気がする。

自由闊達な水森ワールドを、思いっきり堪能できる一曲に仕上がっているといえよう。

 

・ ケ・セラ・セラ‐チャーリー・コーセイ


ケ・セラ・セラ(Que Sera Sera) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

こちらも同じくジャズである。イントロからして文句なしなのだが、案の定ボーカルが入ってきても裏切られることのない充実感を味える。

この曲では、場数を感じさせるチャーリー・コーセイの声が本当に素敵に耳に響く。更に、目立ち過ぎないピアノの伴奏や弦のベース音なども良い仕事をしており、主役のボーカルを引き立てている。

こちらは、ゆったり落ち着いて聴ける雰囲気で、お供にはロックグラスと甘すぎないアルコール飲料とがよく似合う。

静謐な大人の夜にも受け入れられるような、そんな良質な癒しを与えてくれる名曲であると宣言できよう。

 

・カタマりたいの‐浅香唯


カタマりたいの(Roll Me In) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

 こちらも、実にアダルトな雰囲気漂う一曲である。それを、浅香唯がしっとりと見事に歌いあげている。

そのジャンルには明るくないが、誤解を恐れず言うのであればこの曲は、AORに分類できるのではないだろうか?それくらいに、成熟された空気を曲全体がまとっているように感じられる。

この曲が、ウニ町だったかシオ町だったかそんな名前の町でプレイ中に流れるのだから、町民も楽しい毎日を送れるってもんである。

 

・さくらいろの季節‐かたまり隊Jr.


さくらいろの季節(Cherry Tree Times) - 塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」

この曲で今までの雰囲気はガラッと変わり、子供達による合唱という新しい刺激を我々に与えてくれる。

歌詞の内容は、「好きな人と一緒に外へ出かける」というような、可愛らしくもちょっとの背伸びをも感じさせるものだ。それを子供達が一生懸命に歌っているのが何とも言えず良い。

歌詞の随所には春を感じられ、曲調と歌声の優しさが一層「桜色」を際立たせている辺り、「合唱コンとかでも通用するのでは?」と、半分真面目に思ってしまうほどの良い一曲である。あと、しれっと大人もコーラス参加しているのが、相対性理論の真部さんっぽくて好き。

 

・愛のカタマリー‐松崎しげる


【塊魂】愛のカタマリー

カタマリーって何だよ?と言うなかれ。ご存じ「愛のメモリー」が昇華したのがこの一曲である。

まさに締めくくりに相応しく、しげるが情感たっぷりにエンディング感を盛り上げてくれるのが嬉しい。また、曲の途中で挙げられる「輝く条件」で、なぜか日に焼けた肌という項目が登場し、そこだけエコーがかかるというこだわりっぷり。スタッフのしげる愛が充分に感じられる、これこそが正に「愛の塊」なのである。

 

以上、永遠にも感じられるくらいに長い文章となってしまった。

ただ、サントラを聴いてもらうと分かるが、様々な音楽ジャンルが融合し、それぞれに力が込められた様は、まさに「塊」に「魂」が注入されているのであり、ゲームの名に負けないくらいに傑作として世に送り出されているのである。

なので皆さんも、ぜひ楽曲に巻き込まれてみて、ハッピーな気持ちになって欲しい。

それこそが、王子が塊を転がす理由の一つなのだから。

 

 

【映画】ブラックレインと映える月

先日の深夜、映画「ブラックレイン」がBSプレミアムでやるということで、迷わず録画をした。

松田優作の遺作として知られる作品で前から気になっていたが、加えて英語の台詞を頑張る高倉健が見られるということで、「今日こそは絶対見るぞ!」と、ワクワクが止まらなかった。

 

とはいえ、内容がヤクザものということで、劇中にハードな戦闘シーンが出ることは容易に予想できた。

ということで、録画が溜まっていた「月がきれい」を一気に11話まで見て、陰と陽とのバランスを取ってから視聴することに。誰も死なないし。

気が付いたら、茜ちゃんと小太郎くんがフツーにチューするようになってて、なぜか私の今年の夏が終わったような気がした。なんでだよ。

12話目はまだ見ていないが、全体的に初々しい恋路だけでなく、家族の暖かさ(主に安曇家の)も楽しめることの出来る、良い作品だったと思う。SNSの描写も細かく、時代に即していた印象。

 

とかなんとか思いつつ、やっと本題の「ブラックレイン」の内容に触れていく。

実際に見てみると、ツッコミどころが1億個あったと思う(※個人差あり)ので、最初に全体的な(考察とまでは昇華しきれない)感想を述べ、その後に細かく気になったところをちょいちょい好き放題言っていきます。

 

リドリー・スコットの日本観

「ブラックレイン」では、ニューヨーク市警のニックとチャーリーが日本の文化に翻弄される様が描かれている。

そしてそれは、もしかしたら当時の大半のアメリカ人が日本に抱いていたイメージを、リドリー・スコットが彼なりに解釈し、映像に投影したものなのではないだろうか。

そこで、そのような日本観を表すために、松本刑事役の高倉健、やくざの佐藤役の松田優作の両名が対称的なキャラクターを与えられていたように思う。

 

・松本刑事→仕事一徹の真面目人間だが、頭が固めで控え目である。今作では通訳をこなすため、多弁。少々流行に疎い面がある。

・佐藤→日本特有のやくざの世界に生きているため、謎のベールに包まれている。英語でのコミュニケーションはとらず、何を考えているか分からない面がある。

 

そこには、

「日本人は勤勉であるが融通が利きづらく、文化はアメリカよりも少し遅れている」というステレオタイプ的な面(松本のキャラクター)と、

「日本の文化は理解できない面も多く、言葉に出ないコミュニケーションなどはつかみどころがなく不気味である」というアメリカ人には不可解な異文化の面(佐藤のキャラクター)とが見て取れる。

また、ニックとチャーリーのキャラクターとしては、「先進的、柔軟、調子が良い」というような、今作の日本人にはあまり見られない面が与えられているように思える。

加えて、それらを目の当たりにするニューヨーク市警のニックとチャーリーが、ゴリゴリの都会暮らしであるという点は、日本とアメリカとの文化や考え方の違いを色濃くすることに一役買っている。

 

結論として、「日本は未だ少し文化的には遅れているかもしれないが、見どころが多い国であり国民だよね」というリドリー・スコットの好意的な日本観が、今作では発信されているということがいえるのではないだろうか。

 

松田優作高倉健との、興味深い比較

前述したように、対称的であるキャラクターを演じた高倉健松田優作であったが、演技の雰囲気も対称的であったように思える。

劇中、高倉健は英語の台詞が多く、松田優作は英語での台詞はほとんどなかった。

ただ、彼らの演技を見るに、高倉健はあまり表情を使わない武骨な刑事役という印象であったのに対し、松田優作はかなり表情を使って大きく演技をしていたように感じた。

台詞は多いが「静」のイメージの高倉健に対して、(英語での)台詞は少ないが「動」のイメージの松田優作という、面白いギャップが見て取れるのだ。

そのため、松本刑事は日本的なイメージを醸し出し、佐藤はどこか日本人離れしたイメージ、つまりアメリカ人の知らない日本を感じさせる怪しい雰囲気を醸し出しているのだと思う。

 

ここまで意図したキャスティングだったかは分からないが、どちらも二人の演技がハマったことで成立した役柄だったのではないのか、と感じるに至ったのである。

 

以下、気になったとこ抜粋

・あーん!チャーリーが死んだ!

まさか、最初の方のムレータの下りが死亡フラグになるとは思わず、お茶目で男前で、そして主人公の理解者でもある良心チャーリーが中盤に死んでしまい「やんぬるかな」って感じでした。

もうさ、ああいう良い奴が死ぬのは本当に悲しい。Zのアポリー中尉の時くらい悲しいよ。チャーリー役のアンディ・ガルシアが格好良く、とても好印象だったのに死んでしまったので、チャリ様よいしょ本書くしかないね。

 

ガッツ石松渾身の演技

劇中、佐藤の部下役でガッツ石松が出てくる。

今作では松田優作らの演技に注目が集まるが、ガッツさんの「俺は英語分かんねぇから日本語で話しやがれ」的な台詞のところに気持ちがこもってて好きでした。私も英語分からないので、100いいねくらいしたいシーン。

あと、最初観たとき内田裕也には気が付きませんでした。私が知っている最古の内田裕也は、ピエロに囲まれていた時の彼なので、それよか若々しくてびっくりしました。彼の英語こなれてる感、好きです。

 

・松本正隆、和製ジョンメイトリクス説

ニックに散々振り回されて刑事を停職になったにもかかわらず、どこからか銃を持参してドンパチ賑やかに大暴れしていた松本刑事が見られるシーンでは思わず、「軍を退いたのに危険が迫ったので、自前の銃器で無双乱舞するジョン・メイトリクス」を連想してしまいました。野生の証明といい、高倉健さんには人間武器庫の才能があるのだろうか・・・・?

 

 

などなど、挙げだしたらキリがないほどに内容の濃い映画であった。

名優たちが出ていることだし、「ブラックレイン」は機会があるならば一度見てみると良いかもしれない。また、ブレードランナーと合わせて観ると、なんとなく描かれ方がつながって面白いとも思う。

更にお好みで、美少女日常系アニメ等を前後に見ると、作品の色の違いに心地よく打ちのめされること請け合いです。やってみてね。

【ゲーム】サルゲッチュのサルコメントに気付かされる人生2

「来る者拒まず、去る者追わず」という言葉がある。

どういう経緯で使われ始めた言葉かは知らないが、この言葉こそ寛大さや自由さの象徴で、個々の人間の抱えるものが複雑になりつつある現代にとっては、非常に重要な考え方を提示してくれるのではないだろうかと思う。

 

一方、サルゲッチュはどうだろう?

サルゲッチュといえば、プレーヤーが主人公を動かし、その道中を遮ろうとする敵や障害物とをなんとかやり過ごして、サルを捕まえるゲームだ。

言い換えれば、「来る者拒み、サル者追う」ということになる(?)。前述した言葉とは全くの正反対であると言える。

 

では、サルゲッチュは自由ではないのだろうか?

確かにゲームの性質上、ある程度決められた操作やコースでステージを攻略していく様は、見方によっては不自由であると言える。

しかし、そのようなある種の箱庭に彩りを持たせてくれるのが、個々のサルたちの個性あふれるコメント群なのだ。そこには、不自由さの中に溢れる無限の自由度が垣間見え、顔のグラフィックが数種しかないサルたちに、確固たるアイデンティティを植え付けているのだ。

 

というわけで今回も、そんな素敵で有意義なサルコメントのなかから、我々に気付きを与えてくれるであろうコメントを抜粋し、好き勝手言いたいこと言います。

なお、各サルの名前やサルコメントなどの著作権は「株式会社ソニーインタラクティブエンタテインメント」に帰属します。

 

 ニーハオハリウッド そしてサイチェン

-ウッキーチェーン(てくてくバンリ)

 

彼の元ネタは勿論、ジャッキー・チェンであろう。

何気ない一言のように思えるが、そこにはドラマがあって非常に良い。

どのような紆余曲折を経て、ウッキーはハリウッドにたどり着いたのか?彼はハリウッドで何を成し遂げたのか?そしてもしや、再びハリウッドの地を踏む気なのではないだろうか?

何一つ明らかにされないなかで確かなことは、彼がウッキーチェーンであることのみである。

そこには、「過去も未来も今の自分次第だ。そして、今こそがあなたを形作っているのだ」という熱いメッセージが込められているように思えてならない。

 

ジャーマンテクノにうるさい

‐サルブラン(からくりキャッスル) 

 

子供向けゲームにも関わらず、ジャーマンテクノという単語を平気で放り込んでくるゲームスタッフには感嘆するしかない。クラフトワークすらろくすっぽ聴いてない私からすれば、彼は全貌の対象である。

子供をキチンと一人の人間として捉え、「君にしかない感性を大事にして欲しい」という、ゲームスタッフの熱い思いがひしひしと伝わってくる。きっと、自分の感性を信じ、磨き上げてきた素敵なスタッフたちが多く携わったゲームなのだろう。

このような観点から、もはやサルゲッチュは、情操教育の水準に達していると言っても差し支えはないだろう。

 

エスプレッソってなに?」 

‐サルグリ(からくりキャッスル)

 

我々は、普段何気なく過ごしていると、あって当たり前のものに関しては目を光らせなくなる。

そこで彼のこの一言だ。まさに子供のような着眼点で、それでいて素直な疑問をストレートに我々にぶつけているのだ。

例えばビジネスシーンなどで、カタカナ言葉を多く使いこなす人を見かけることがある。その人にとっては当たり前の言葉の羅列でも、その一つ一つの意味を曖昧に捉えている場合があるかもしれない。

セグメントってなに?

アグリーってなに??

スキームってなに???

このような疑問を持つことは自身のスキル向上につながり、広い視野や柔軟な考え、あるいは物事を論理的に考える時間を与えてくれる可能性もある。

勿論、誰かに分からないことを素直に分からないと言うのは苦渋の決断かも知れないが、その決断が間違っていないことを、苦汁が教えてくれているように思える。

 

たたかいにつかれたせんし

‐マグナム(スペクターランド)

 

人は皆、与えられた環境で戦っているものだ。

戦っているつもりがなくても、気が付かぬうちに疲労は溜まり、人にはよってはそれが顕在化してしまうこともあるだろう。

だが、それもあなたが戦士として戦っているからにほかならない。

「ストレスなどで疲れ切ってしまい日々の生活が嫌になっているお前さんは、誇り高き戦士なんだ。戦う上で、そのことだけは忘れるな」と、マグナムは私達に激励をしてくれているのだ。

 

長くなってしまったが、ひとまずサルゲッチュ内のコメント抜粋は以上である。

サルもなかなか深いことを言ってくれている。人間である私たちはそれに応え、明日から少しでも元気になっていかなくては、いずれはサルに支配されてしまうかもしれない。

 

昔プレイしたゲームから、改めて人生の大事な教訓やスパイスを得る。これは、「去る者を追い、来る者有り」という言葉で表され、後の「Back to the Future」シリーズ形成にも大きく影響を与えたという(大嘘)

【声優】晴耕雨読とボイスサンプル

雨の日は外に出るのが億劫になる。

特に梅雨時期の6月である今なんかは、お出かけの予定を慎重に立てなければ、当日雨に降られてしまうことになるだろう。そんな雨降る日は、家でのんびりするに限る。

 

雨の日に家で籠城するのも、それはそれで良いものである。

家事を片付けるのにうってつけだし、読書するのも良いし、ゲームするのも楽しいし、音楽やラジオをかけるのも素敵だ。キリンジなんかかけてゆったりしたいね。

そんなインドアが捗る雨の日には時たま、ついつい声優さんのボイスサンプルサーフィンをしてしまうことがある。これが楽しい。それにより、籠城は更に堅牢堅固になり、難攻不落の名城が誕生してしまうのだ。

 

というわけで、今回は私のボイスサンプルが好きな声優さんを挙げていき、好き勝手に言いたいことを言おうと思う。気になったら、ぜひとも検索してお聴きください。

 

伊丸岡篤さん(アーツビジョン所属

自分の名前を読み上げた後、開幕の10回クイズからフルスロットルで終始楽しそうである。また、最後はなんか良い感じのことを言って締めるというニクさ。

シュトロハイム少佐をあの感じで演じきったのもうなずける。世界観に底知れ無さを感じさせる、良いボイスサンプルを聴かせてくれる。

 

菅原正志さん(大沢事務所所属)

激渋い、強面オヤジが容易に脳裏に浮かんでくる素敵なお声を聴くことができる。私は0083のバニング大尉が大好きなのだが、菅原さんは生まれ持った上官ボイスというか、理想の上司殿堂入りって感じの声だよなぁと演じたキャラクター抜きで惚れ惚れしてしまう。若手女性声優だらけの深夜アニメをたくさん見る人は、自律神経のバランスを取るために聴いてみてほしい。きっと、男くさい作品も見たくなるはずだ。

 

久野美咲さん(大沢事務所所属)

端的に述べて最高である。ちょっと舌足らずな所を、全くマイナスに感じさせない幸せボイス。セリフが「買ってくらさい」って聴こえても、こちらからは謝辞を述べるしかない。

今後、長く活躍が期待される声優さんだけに、今のうちに必ず聴いておきたいボイスサンプルだと言えよう。

 

平松晶子さん(賢プロダクション所属)

平松さんのボイスサンプルは、何といってもフリートークが最高に素敵である。ラジオのような雰囲気で軽妙に繰り出される話題と、それを彩る愛嬌たっぷりの笑い声。

素敵な声と人柄とが堪能できるボイスサンプルなので、ぜひとも一度その魅力に触れてほしい。

 

堀内賢雄さん(ケイイユウオフィス所属)

言わずと知れた大御所さん。ボイスサンプルでは、幅のある様々な声を聴かせてくれるのだが、注目すべきは終盤のキャララッシュ。ブラピやジェシーおいたんが、気さくに挨拶をしてくれる。さながら、そういうボイスドラマCDである。

堀内賢雄さんの魅力をまるごと詰め込んだ、出色のボイスサンプルであるように感じる。

 

和多田美咲さん(青二プロダクションジュニア)

天真爛漫で純情可憐な女の子ボイスを聴くことができる。非常に良いお仕事をなさっておられると思う。昨今の女の子キャラ需要を考えるに、今後間違いなく売れる声優さんだろうなと思うので、ぜひぜひ一度は聴いてみてほしいボイスサンプルだ。

 

皆口裕子さん(青二プロダクション所属)

「生まれてきてくれて、ありがとう」というありがたい御言が聴けるので、明日をちょっと頑張りたいときにこっそり聴いている。セリフパートはないのだが、ナレーションだけで充分に、彼女の声のたまらなさを痛感することができるボイスサンプルである。

 

龍田直樹さん(青二プロダクション所属)

人以外のキャラクターもこなせる器用なベテラン声優さん。ボイスサンプルでは、今まで演じたなかで変わっていたキャラクターを振り返るパートがあり、金田朋子級のぶっ飛びキャラクターが登場して面白い。誰かが、「千葉繁さんと並んでアドリブが多い」みたいなことを言っていたが、それも頷けるような多彩な引き出しをボイスサンプルでは感じさせてくれる。

 

・天野由利さん(アーツビジョン所属)

透き通るような声の持つ、透明度の高さにド肝を抜かれる。まさに、聴く天然水と称せるレベルに洗練された素敵なお声が聴ける。平日の夜に聴きたい。

 

宇山玲加さん(青年座映画放送所属)

永遠の少女、と言うべき独特の声を聴くことができる。レオンの吹き替えを宇山さんの声で聴いた際、その声に一瞬で引き込まれてしまった。

演技も勿論だが、その声自体でも充分勝負できると思う。今後の活躍を楽しみにさせてくれる、素敵なボイスサンプルだ。

 

以上、つらつらと本当に脈絡もなく書いてきた。

最近のスピード重視というか、スマホ最盛期においても充分に人々が触れることの出来るサンプルボイスの世界に、どなたかが触れてみるきっかけになれば幸いです。

それでピンと来る方が見つかったら、ぜひぜひ三顧の礼で迎えましょう。

 

※上記のサンプルボイスの内容、及び各声優さんの所属は記事執筆時のものなのでご容赦ください。未来人の方はタイムスリップしてる感を楽しんで下されば嬉しいです。

【生活】彼女持たざる者、交流戦に泣く

暑くなるにつれ気が付けば、プロ野球交流戦に入り、ファンは連日様々な事柄に一喜一憂している。確かな夏の訪れである。

今季で言うと連敗記録や新戦力の台頭など、決して無視できない悲喜こもごもが散見されている。ファンにはシーズン後半への期待と不安とを膨らませてくれ、球団には今後の戦い方を考えるきっかけを与えてくれるのが交流戦だ。ある意味、後半戦う上での土台作りの場とも言えるだろう。

 

突然で申し訳ないが、私は福岡ソフトバンクホークスをひいきにしている。

ホークスと言えば交流戦に強いチームで、最下位になったシーズンでも交流戦では優勝しているほどである。(その年は酷いシーズンだった)

そのため、「今年の交流戦も、そこそこ上位で終わってくれれば良いかな~」なんて呑気に構えているのだが、そんな私が先日交流戦に頭をぶん殴られる事態が発生したので、今回の記事ではそのことを記載しようと思う。

セ(ッ)パ(詰まった)交流戦

先日、地元の友人たちとダイニングバーで食事をした。

そこでご飯やお酒もそこそこに、私はある一人に「彼女とは別れたの?」と何気なく訊いた。

というのも、彼が何日か前に、そのような内容を仄めかすダイイングメッセージをSNSに載せていたからだ。

彼は「あー、別れたよ」と答えた。やはりそうだったのか。そして、間髪入れずにこうも答えた。「で、新しい彼女できたよ」。

 

聞くところによると、前の彼女に愛想を尽かし、彼はだいぶ前から行動していたのだという。

なんということだ。

交流戦が始まるとっくの前から、彼は交流戦を開幕させていたのだ。

そんな突然の告白に唖然としていると、彼は追加情報を教えてくれた。

「ちなみに相手、18歳」。

 

なんということだ。まさかの高卒ドラ1である。

対して彼女のいない私は「獲得選手なし」。悲哀を涙なしには語れないハンカチ王子である。

 

その後、その場にはいない別の友人の話にもなった。

「〇〇も彼女できたらしいよ」。

そうかそうか。それは良いことだし嬉しいのだが、先程のショックを若干引きづりながら聴いている自分を隠し切れない。

「ちなみに、〇〇の彼女は19歳みたい」。

 

なんということだ。なぜか、またもや年下である。その子らは皆、投手なのか???

こうして、またもや私の「獲得選手なし」が浮き彫りになってしまった。これでは、ペナントレースも白旗である。根本陸夫GM、助けてくれい。

 

彼らとは共に小学校からの付き合いだが、もう子供の頃の思い出は戻らない。

そして、彼女のあるなしで、それぞれで流れている時間に差が出ることは明白だろう。まさに、キッズ・ノーリターン相対性理論である。


相対性理論 - 2 - キッズ・ノーリターン(single ver.)

 

文字通りアベックホームランを食らった私が今回の出来事で学んだのは、出会いは待っているだけではだめだ、ということだ。

スポンサー無しだって、日本の生命はいつでも交流戦を開始できるのである。勇気を持とう。

このまま待つだけだと、いつしか待つ坂世代から下り坂世代になるのも時間の問題で、気が付いたら任意引退選手になっているかもしれない。

 

夏は交流戦の季節。熱い戦いはまだまだこれからだ。

まずは、新しいカップルの門出を祝うと共に、彼らができるだけ長く、共に進んでいけることを願うばかりである。

皆の人生に、1ダホーを。