【生活】彼女持たざる者、交流戦に泣く
暑くなるにつれ気が付けば、プロ野球が交流戦に入り、ファンは連日様々な事柄に一喜一憂している。確かな夏の訪れである。
今季で言うと連敗記録や新戦力の台頭など、決して無視できない悲喜こもごもが散見されている。ファンにはシーズン後半への期待と不安とを膨らませてくれ、球団には今後の戦い方を考えるきっかけを与えてくれるのが交流戦だ。ある意味、後半戦う上での土台作りの場とも言えるだろう。
突然で申し訳ないが、私は福岡ソフトバンクホークスをひいきにしている。
ホークスと言えば交流戦に強いチームで、最下位になったシーズンでも交流戦では優勝しているほどである。(その年は酷いシーズンだった)
そのため、「今年の交流戦も、そこそこ上位で終わってくれれば良いかな~」なんて呑気に構えているのだが、そんな私が先日交流戦に頭をぶん殴られる事態が発生したので、今回の記事ではそのことを記載しようと思う。
セ(ッ)パ(詰まった)交流戦
先日、地元の友人たちとダイニングバーで食事をした。
そこでご飯やお酒もそこそこに、私はある一人に「彼女とは別れたの?」と何気なく訊いた。
というのも、彼が何日か前に、そのような内容を仄めかすダイイングメッセージをSNSに載せていたからだ。
彼は「あー、別れたよ」と答えた。やはりそうだったのか。そして、間髪入れずにこうも答えた。「で、新しい彼女できたよ」。
聞くところによると、前の彼女に愛想を尽かし、彼はだいぶ前から行動していたのだという。
なんということだ。
交流戦が始まるとっくの前から、彼は交流戦を開幕させていたのだ。
そんな突然の告白に唖然としていると、彼は追加情報を教えてくれた。
「ちなみに相手、18歳」。
なんということだ。まさかの高卒ドラ1である。
対して彼女のいない私は「獲得選手なし」。悲哀を涙なしには語れないハンカチ王子である。
その後、その場にはいない別の友人の話にもなった。
「〇〇も彼女できたらしいよ」。
そうかそうか。それは良いことだし嬉しいのだが、先程のショックを若干引きづりながら聴いている自分を隠し切れない。
「ちなみに、〇〇の彼女は19歳みたい」。
なんということだ。なぜか、またもや年下である。その子らは皆、投手なのか???
こうして、またもや私の「獲得選手なし」が浮き彫りになってしまった。これでは、ペナントレースも白旗である。根本陸夫GM、助けてくれい。
彼らとは共に小学校からの付き合いだが、もう子供の頃の思い出は戻らない。
そして、彼女のあるなしで、それぞれで流れている時間に差が出ることは明白だろう。まさに、キッズ・ノーリターンで相対性理論である。
相対性理論 - 2 - キッズ・ノーリターン(single ver.)
文字通りアベックホームランを食らった私が今回の出来事で学んだのは、出会いは待っているだけではだめだ、ということだ。
スポンサー無しだって、日本の生命はいつでも交流戦を開始できるのである。勇気を持とう。
このまま待つだけだと、いつしか待つ坂世代から下り坂世代になるのも時間の問題で、気が付いたら任意引退選手になっているかもしれない。
夏は交流戦の季節。熱い戦いはまだまだこれからだ。
まずは、新しいカップルの門出を祝うと共に、彼らができるだけ長く、共に進んでいけることを願うばかりである。
皆の人生に、1ダホーを。
【生活】一羽の鳥に教わったわびさび
ここ最近、外国の人が日本の良いところを褒めてくれるテレビ番組がやっているらしい。
見たことはないので内容には触れないが、この番組は「第三者の視点」を知れるという意味では、良い番組だと思う。気付きを得るきっかけとして、第三者の考え方というのは非常にパワーがあり、見えない部分を打ち壊して視野を広げてくれることもある。
日本に住んでいるからこそ見えなくなっている部分は必ずあるだろうから、そういったことに気付く手助けにはなる番組なのではないだろうか。
そんな日本に、古来より伝わっている「わびさび」という概念がある。
自分は未だ確固たる「わびさび感」を確立してないので、 9番セカンド・本間満 的な概念だとしか認知していないが、神社仏閣や古い町並みから立ちのぼってくる古の薫りを感じ取る好きで、その薫りこそがわびさびなのかな、とは考えている。
そんなわけで、以前京都を一人でフラフラする時間があった際には、手近な神社仏閣を見て回った。いわば、修学旅行の再履修である。
今回は、その際に立ち寄った龍安寺での出来事を記そうと思う。
龍安寺と言えば石庭が有名で、私も中学の修学旅行の際に寄った(気がする)。
それで、もう一回くらいはこの目で見ようかな、と思ってウキウキ気分で立ち寄ったのだ。
流石に定番観光スポットということもあり、その日はそこそこの数の人々が訪れていた。そのため、石庭までの道中は中盤待機という、さながらセキテイリュウオーのような戦法でお目当ての石庭まで歩いて行った。
ただ、いざ石庭を見ようとすると、周囲がなんだか騒がしい。
そう、スマホの隆盛により、みんなパシャパシャとスマホで写真を撮っていた。セルカ棒を持っている人の姿も見受けられた。私と渡しとのツーショットである。
ひっそり落ち着いた佇まいを期待していた私は、少しがっかりしてしまった。もちろん、スマホで写真を撮る気はなかったし、ただ静かな龍安寺が見たかっただけなのに。
私は喧騒を避けるように、石庭とは反対方向の廊下へと歩みを進めた。
裏手に回ると騒がしさは少し和らぎ、落ち着いた空間が広がっていた。私はホッとした気持ちになると同時に、文字が書かれた小さな立札の存在に気が付いた。
「吾れ唯だ足るを知る」
その言葉が、その瞬間非常に身に染みた。自己陶酔だと笑わば笑え。ただ、その時の状況も相まって、直感的に「わびさびって、足るを知る気持ちから生じる感覚なのかな」という気付きが降ってきたのだ。
すると、一羽の鳥がやってきて、近くの実がなっている木に止まった。どうやら、お食事場所らしい。
1つ2つと、その鳥が真っ赤な実を美味しそうに啄むさまをボーッと見ていたら、まだまだ沢山の木の実を残して、その鳥はサッと飛び立っていったのだ。
衝撃だった。
言葉にされてようやく気が付いた「足るを知る」心を、鳥は当たり前のように持ち合わせているんだと思い知らされたからである。まさに自然は真理を湛えており、そこには語彙などは無力なのかもしれない。
そんな、校長先生が朝礼でのお話しでヘビロテしそうな経験を以前にしたので、ここに記した次第。もちろん、今の石庭がこんな状況ではないことを祈っている。
自然は何でも知っているという、クッキングパパのED曲風味なことが言いたかったのだが、古き良きわびさびを保つためには、ちょっとの我慢が現代人には求められているんだとも言えるのではないだろうか。
龍安寺が誇れる「わびさびテンプル」であることを願って、最後にこの曲を。いや、「スーシー、テンプーラ」みたいになってる!(日本版ステージタイトルはわびさびテンプルだけど、海外へのわびさびの普及はまだまだ道半ばなのかもしれない)
【漫画】人には薦めないけど好きな漫画
「何か、オススメの漫画ありますか?」という何気ない一言に、パッと返答しようとすると窮してしまうことがある。
なぜそうなるかというと、「この人に向いてそうな漫画を読んでたっけ?」という自問自答が浮かんでくるからである。
オススメした漫画を後日本当に読んでくれたら嬉しいし、共通の話題が増えるため、頑張って正解を導こうとする。そのため、滅多に攻めた回答というのはできないのだ。オススメ紹介者には決して、記者会見での謝罪は許されないのだ。世知辛いね。
しかし、他の人にはオススメし辛いけれど、心のどこかではオススメしたがっている好きな漫画が存在するのも事実。ということで今回は、そんな漫画たちを好き勝手に挙げ、控え目にオススメ致します。
- 作者: 大和田秀樹
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/03/26
- メディア: コミック
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「大魔法峠」や「ムダヅモ無き改革」などでお馴染みの大和田先生が、ジャリマンガに革命を起こすという大義を果たすために執筆した一作。
丁度、連載中だったムダヅモの単行本を追っていた際に目に留まり、「この地雷(褒め言葉)は踏み抜くしかねぇ!」という気持ちから衝動買いをした記憶が。
単行本にラストらしいラストはなく、気が付いたら連載終わってたという悲しい漫画だが、画力の高さが何とも絶妙。内容は・・・・小学校での排泄問題を題材にしたとでも言うのが妥当なのだろうか。リビングや書斎に飾り、トリックスターとして起用してほしい一冊。
アニメスタッフネタとか、マニアックな雑学とか、文化人類学知識とか、色々なネタが良い意味で雑多に放り込まれた作品。可愛い女の子キャラもたくさん出てくるが、女っ気が少なさそうな男キャラばっかりいるので、なんとも絶妙なバランスを保っている。
物事の興味が「広く浅く」タイプのキモオタ方にはぜひ手に取っていただきたいが、合わない人にはとことん合わない作風であるといえる。好きなことを好きなだけ好きなペースで描いている作者の姿勢には、非常に好感を持てる。
名作家・ちばてつや先生のゴルフ漫画。ストーリーは、頑張り屋の主人公が努力で道を切り開き、理解者を増やしつつ頂点を目指すという王道展開。スイング時の「チャー・シュー・メーン」という一言はかなり有名。
かなり昔のゴルフ界のお話になっているので人には薦めづらいが、対戦相手に実在の選手がモデルのキャラがたくさん出てくるのがとても好き。
しかも、それぞれがちゃんと活躍するのが嬉しい。特に「マムシの杉原」の話なんかは最高だった。
元ネタがあるキャラクター好きにはたまらない一冊であるといえる。
これを挙げるためだけの記事である。いっぱしの成人男性が、これだけは易々と他者へと薦めてはいけない。(諸説あり)
本作は、小学生4人と女子高生(原作だと煙草を吸ってるため、アニメ版では短大生)のお姉ちゃんがダラダラ日常を過ごしていくストーリー。何も考えたくない時に読むのが非常に好ましい。学生時期の就職活動時には、これに命を救われた経験がある。
「かわいいは正義」という、この世の真理を突き詰めた求道者により発せられたコピーも特徴的で、至福のリラックスタイムを過ごすために必携の作品であるといえよう。
ご覧になって如何だっただろうか。多分、そんなに読みたくはなってないかもしれない。
それでも良い。私の控え目な気性によるモヤモヤが、今回の記事で多少転じ、見事結ばれてオチついたのだから。
~完~
【生活】「それな」に、立ち向かう。
「それな」という若者言葉が存在する。
相手の何かしらに共感した際に使用される言葉で、使うことで、「自分も同意見だよ」という意志表明を行える。
私は、この言葉はあんまし好きではない。そして、この言葉をボケで使ったりはするけれど、まさか真面目に相手へ共感を示す際に使う人はいないと思っている。
ただ、そんな偏屈なことを言っていたら世の中の流れに取り残されてしまうので、今回は、「それな」という3文字について正面から向き合い、前半後半に分けて好き勝手言いたいことを言っていこうと思う。
前半では、「それな」に対する感想と考察。そして後半では、「それな」使用者のバックボーンを掘り下げ、使用理由をタイプ別に考える。ぶっちゃけ、偏見と嘘とが飛び交うだけです。
「それな」?それなに?
前述したように、私が「それな」という言葉に持つ印象は決して良いものではない。なぜなら、「あなたの言うことは分かるよ、本当にそうだよね」という感情表現を3文字で済ませようとする姿勢が嫌だから、だ。
アニメ「四月は君の嘘」の「光るなら」のサビで説明すると、
君だよ 君なんだよ
を、「君な」で済ませるような感じに思える。 嘘だと言ってくれ。
3文字という簡潔な文字列で、相手の信任を得て味方になろうとしているのである。ローリスクハイリターン、プロセスよりも結果、といった言葉が浮かんでは消えていく。
しかしなぜそのような事態になるかというと、それはスマホの普及がもたらした時短意識が「それな」に集約されているからだ、と言えるのではないか。そして、デジタルネイティブ世代が特に、その時短意識に影響を受けているとも考えられる。
スマホのタップ一つで目当ての情報や、求めている事柄にたどり着くこのご時世。生まれながらに大量の情報の海に慣れ親しんできた若者は、その荒波を渡りきるために最短ルートでの航海を余儀なくされ、日々向上する便利さに向き合っているのだ。
そしてその過程で、若者の口から「それな」という革新が発されたのである。金田一先生一族~!新たな日本語ここにありますよ~!!!
つまり、「それな」とは若者の生活スタイルが生み出した怪物であり快刀である。私は、その底深さや鋭利さに負け、つい負け惜しみを言ってしまっているに過ぎないのだ。
また他方では、オドループのサビの部分だけ踊ってみた動画がネットに登場する事態にも陥っているらしいが、こちらは「それな」の持つ時短意識との因果関係を調査中である。
「それな」使用者をタイプ別に解説
では、そんな「それな」を使う人はどんな人なのだろうか?ここからは、それをタイプ別に分けて考えていく。
・察しの文化を後世へと継承したいタイプ
日本語には、全てを口に出さずとも会話が成立するケースが存在する。つまり、「それな」においても同様のケースが想定される。
「それな」によって省略された部分を相手に察させることで、日本特有の文化を口伝で継承させていくという、文化継承を日常から行っているのだ。落語家志望に多いタイプだと言えよう。
・最近、「It(それ)と呼ばれた子」を読破したタイプ
過酷な内容で話題になった書籍。これに感化され、決して子供を酷い虐待の目に合わせてはいけないという正義感が、「それな」を使うことに駆り立てているのだ。
あえて「それな」と言うことで、「おいやめろ」という返答をさせ、会話者に「It(それ)と呼ばれた子」のことを思い出させようとしているのだ。有難迷惑である。
・「それ」が示す内容を相手に問うているタイプ
デジタルネイティブ世代は、ネットで情報へ気軽にアクセスし、それをSNSなどでアウトプットすることに慣れている。
インプットした内容をアウトプットする大事さを知っているからこそ、相手にもその大事さを伝えてあげたいのだ。
「それな」という一言は、「それが示す内容を、先程の会話文から抜き出し当てはめなさい」という出題文なのである。このタイプは受験戦争の被害者とも言えよう。
・その他のタイプ
複雑怪奇な世の中を、決まったタイプのみで分けられると考えるのは無粋である。
如何だったであろうか?ちなみに、私はちょっと楽しかった。
しかし、他人の発言をここまでネチネチ言う人は、魔法の一言で黙らせてやると良い。
「それな」
【サッカー】好きなサッカー選手の名前を、好きなだけ論述
私はあまりサッカーに詳しくない。プレーも上手くないと思う。
加えて大ざっぱなタイプなので、個々のプレーが合わさって攻防が繰り広げられると、どこを見てよいか良く分からない。なので、細かいプレーの解説ができる人は本当に尊敬してしまう。あと、ダジャレがたまにスルーパスになっちゃう早野さんとか好きです。
それでも、一時期「サカつく6」というゲームがきっかけで、どっぷりサッカーの世界にハマったことがあった。
それまでプロ野球は見ていたが、野球とは比べ物にならないくらいに世界各地に浸透している様子を目の当たりにして、非常に衝撃を受けたことを覚えている。
特に、選手の名前を見たり覚えたりするのが楽しくて、飽きもせずに様々な国の代表選手一覧とかをよく見ていた。ちょっとした世界旅行である。
そんな過程で、名前の響きを気に入る選手や、その名前の字面にほれぼれする選手が見つかったのだが、誰かに言いたくても結局言うことはなかった。言われた方も困っただろうし。
ただ、共感してもらえるかは非常に怪しくはあるが、誰かに伝えたい。そこで今回は、趣味のブログなら良いだろうということで、名前が好きな選手をテキトーに挙げてって好き勝手言いたい放題します。
グレッグ・バーハルター(アメリカ)
06年のアメリカ代表で、ドイツでのプレー経験もある選手。MLSのロサンゼルスで長いこと活躍した。
グレッグという、最初と最後にブレーキが利いている名前の後、流れるようにバーハルターが続く様が格好良い。もし仮に「バーハルト」だったら、ここまで名前にカタルシスを感じることはなかっただろう。「ター」で終わることによって、グレッグでせき止められていた流れが一気に動き出すような感じがする。字面が格好良い苗字だな、とも思う。
シフィウェ・シャバララ(南アフリカ)
この人は知っている方がいるかもしれない。そう、「タマシイレボリューション」が再生されるごとにゴールを量産するでお馴染み、南アフリカ大会でのオープニングゴーラーがシャバララである。その後のパフォーマンスも楽しげで実に良かった。道なき道を切り開けて良かったね。
「シフィウェ」というトリッキーな文字列から入って、まるで流星が夜空を駆ける様を表しているかのような「シャバララ」という苗字で締める、というギャップ。実にクセになる名前である。シャバララ、ついつい言いたくなるような素敵な名字だと思う。
「スティペ」という、日本語的に少し変わった印象を受ける響きのあとに、「プレティコサ」という更に軽妙な響きが待っている。小さな「ィ」が、名前の持つスムーズさを加速させているように感じる。要所にちりばめられた半濁音も良い仕事をしている。
ポーランド代表として活躍したGKで、セルティック時代は中村俊輔と同僚だった。
「アルトゥール」という、軽い感じの響きが一転、「ボルツ」で荒々しく締められる。名前としてはメジャーリーガーの「ホセ・アルトゥーベ」っぽいが、ボルツの方がメリハリが利いていて好きだ。
余談だが、セルティックはよくウイイレで使っていた。ヘッセリンク兄貴大好きだったな。
タイエ・タイウォ(ナイジェリア)
左足からキャノンのような一撃を食らわせる、ナイジェリア代表経験もあるサイドバック。
Zガンダムに出てきそうな並びの名前だが、韻を踏んでるかのような軽妙洒脱な名前が心地よい。「タイェ」表記の方がしっくりきて好き。
ヴィンチェンツォ・グレッラ(オーストラリア)
セリエAでのプレー経験もある、元豪州代表選手。
全体的に高貴な印象のある名前である。「ヴィンチェンツォ」という名前が、いかにもイタリアっぽいような気がするし、濁音から始まる「グレッラ」という苗字にはパンチが利いていて良いと思う。語呂は良くないかもしれないが、字面から漂う品の良さがなんともたまらない。本人が血の気が多かったらしいのは内緒だよ!
トゥラン(トルコ)、トゥララン(フランス)、トゥラオレ
この三人の名が並ぶと、ポケモンの進化っぽくて楽しい。トゥラオレは沢山いたので挙げてませんのであしからず。
トゥランとトゥラランなんて、「ラ」の違いだけで国籍が変わってしまうのだから、なんとも不思議で興味深い。まさに、苗字の奥深さを表してくれる並びだと言えよう。
如何だっただろうか。右脳がヤベェことになられてたらごめんなさい。
何言ってるか全然分からなかったかもしれないが、私は大満足なので今回はこれにて試合終了。
このような変態シュート(当記事)もゴールするのかと思うと実に感慨深いが、伝わるか伝わらないかのラインディフェンスは、もうちょっとしっかりするべきだと反省したのでした。
【お酒】バーで飲み過ぎて敗戦した話。
GWもそろそろ終わり。
この連休中は、中間での勤務を挟んだものの存分に満喫できた。
旅行先では特に、ビールに日本酒にと、様々なアルコールをご当地グルメと共に楽しめた。飲酒の醸し出すほわほわムードは、「天使の取り分」が幸せとして還元されているのではないかと思うほど、この上なく心地良く、幸せな連休のMVPと言って良い働きぶりだった。休肝日ではゆっくりお休み。
そんなこんなで幸せなお酒ウィークだったのだが、2日は散々だった。バーでの素敵な時間と、その後のしょーもなバトルタイムとの落差が酷かったのだ。
というわけで、今回はしがない酒飲みの備忘録兼、自分語りを好き勝手に書き連ねる次第である。
~バーに行こう~
男は誰でも、大人っぽい事柄や気取った世界に憧れる時期が必ず訪れる。
それに年齢は関係なく、条件がそろった時にその傾向が強くなるものだと思う。
私の場合「バー」の存在こそが憧れに当てはまる。幼いころから無性に、「お酒を大人がたしなむ場所」に入ってみたい、と憧れていたいたからだ。
そういう理由から、ここ最近私はバーに行きだした。
実際、カクテルの名前や特徴と見た目とが一致して、臆せずに注文できるようになったら嬉しいし、未知のカクテルを飲んでみて口に合った時は、世界が開けたような気持ちになれて楽しい。
更には、バーテンダーの手際良い仕事ぶりから生み出されるカクテルの世界が、箱庭チックでとても愛おしく、出来る限りたくさんのお酒と出会いたいとも思えるようになった。まさに、絶賛夢が夜開き中なのである。
~ウキウキ、バー入店~
スッカスカのお財布でもなんとかなるように、リーズナブルで雰囲気の良いバーを探し、先日ふと飛び込んだお店が当たりだったので、2日にも足を運んだ。2回目の来店である。
バーに行く前には、自宅でご飯を済ませ、お風呂にも入り、G.H.BASSのローファーを気取って履いたりなんかしちゃって、意気揚々、準備万端で扉を叩いた。
「食後だから強めのお酒でも良いだろ~」的考えで、1杯目はマティーニを注文した。
ビーフィーター(ジン)をメインに据えた、ガツンと来るカクテル。正直あんまし好きではないけれど、気取り中の人間は貸す耳を持たないものだ。
バーテンダーさんが、メタギアでナイフ使う時みたいなしなやかな動きで香りづけをしてくれて、背伸び気分が助長されたが、良い一杯だった。
2杯目はマリブサーフ。ブルーキュラソーが好きなので、軽めのお酒でお口直し。
飲みやすいんだけれど甘すぎず、微かにトニックウォーターの苦味が効いていて、ツボを押さえたカクテルだと思う。今夏はヘビロテ必至である。
ブルーつながりで、3杯目はスカイダイビングを注文。氷を砕いてシェークしてくれたようで、爽快感が断然強かった。この時が、一番天にも舞う気持ちだったと思う。「大の大人が」ロマンティック浮かれモードである。バカっぽい。
4杯目は、少し変化をさせて、マスカットクーラーを注文。ミドリ(メロンリキュール)を使ったお酒で、「昔、マスカットリキュールが飲めなかった時代に、人々がこれをマスカットリキュールの代わりに飲んだんですよ」と、バーテンダーさんが解説をしてくれた。
ミドリ初挑戦ながら、こちらも氷のシャリシャリ感が気持ちよく、ミドリのメロン味と相まって美味しくいただけた。わざとらしいメロン味、大好きです。
5杯目でボウモア10年をロックで注文。12年よりも荒々しくスモーキー、とはバーテンダーさんの弁。まさにおっしゃる通りで、香りを楽しみながらスイスイ飲み干せた。この辺りで、謎の汗をかいていたような気がする。
締めはジントニック。いきの良いフルーツが入ってたらしく、スカッと爽やかな気持ちで飲み終えてチェック。その後は、足取りもしっかりと電車に乗り込み帰路に付いた。
~消化(器官)試合~
気が付いたら最寄り駅を何駅も過ぎていた。確かに、意気揚々と電車に乗ったはずだったのに。同時に、気持ち悪さも押し寄せてくる。嗚呼、マリブの爽やかな波はどこに行ったのだろう?
とりあえず電車を降り、いったんトイレへ。ローファーを履いてしまったがばっかりに、吐いてしまって悲しい思いをしてしまった。
その後の電車は、我慢と緊張の連続であった。丁度、「野球狂の詩」で、9回を一人で投げ切る回の岩田鉄五郎みたいな感じで吐き気をこらえ、命からがらなんとか帰宅したのである。
王都。それは、夢の跡。栄枯盛衰、盛者必衰。
華やかな栄華も、驕りや慢心によって一瞬にして崩れ去ってしまう。そんなことを身をもって体感した夜だった。
バー通いでの大人への背伸びは、まだまだ前途多難。ただ、次回は必ず元気に帰るぞ、という気持ちと共にこの歌を。
【ラジオ】金田朋子のロックンロール
企業が「コンプライアンス」という言葉を押し出して、法令順守を強くアピールするようになってから、だいぶ経っていると思う。
その是非は問わないが、企業が守るということは、そこで働く人々も、同じく決まりを守るということだ。
もちろん、決まりを守ることは社会においては必要なことである。それによって、組織や個人が守られる場合は多々あるからである。ただ、個人レベルでの場合では企業が順守する決まりの他に、マナーや気遣いなどにも注意を払う必要がある。
企業が躍起になって押し出す「コンプライアンス」にも対応しつつ、上司や顧客への言葉遣い、反応、立ち振る舞いなどに失礼さや至らない点が無いかを意識して仕事をやり遂げなければならない。間違いがないことが自衛だとは分かっていても、気を張り詰めることは極めて難しく、疲れてしまう。良くも悪くも、決まりにがんじがらめであるのではないだろうか。
私もぺーぺーながら一社会人であり、のんきながら「コンプラ社会を生きるのは大変だな~」と当事者顔をして日々働いている。
そして、そんな世の中をぶっ壊すようなラジオ番組を毎週聴いて、仕事への英気を養っているのだ。
今回は「グッチ裕三 今夜はうまいぞぉ!」というラジオ番組について、好き勝手言いたいことを言います。
「グッチ裕三今夜はうまいぞぉ!」は、MCがグッチさん、お供が金田朋子、の文化放送で毎週日曜日に放送されている30分のラジオ番組である。
内容は基本的に、グッチさんと金田朋子(通称・キントモ先生)とのフリートークがメインとなっている。また、お便りが一放送で一回紹介され、グッチさんがイカした洋楽を3曲かけてくれる。
こう見るといたって普通の30分番組のようだが、金田朋子がいるだけで(良くも悪くも)普通ではない。俗に言う金朋地獄が繰り広げられるのである。
キントモ先生は、基本的に超フリーで言いたいことをバンバン言っている。なので大体、先生の波状攻撃を、グッチさんが専守防衛で受け切るというような流れが毎週繰り広げられている。時には「失礼なのでは・・・?」という言動もあるが、グッチさんが大人な対応をして事なきを得る。グッチさんすげぇ。冠番組なのに。
それと先生は、本番中に(少し)ちびったり、トイレ行ったり、グッチさんの話を全く聞いてなかったりもする。生放送でないとはいえ、「ここまでやって良いの?」と心配になりつつも、どこまでも自分を出す先生に毎週爆笑させられ、元気をもらっている。
もちろん、先生自身には悪気は一切ない。(と思う)
そして、それを理解している番組スタッフやグッチさんは、本当に器が大きい。金田朋子ワールドを存分に引き立たせているのは、スタッフやグッチさんなのであり、それでこそ彼女の輝きは煌々としている。
キントモ先生の奔放な発言の数々は、ある意味で世の中の暗黙のルールを否定しえるものである。「そんなの一々気にしてちゃやってらんないよ」という、一見テキトーにも思えるけれど、自分らしさを肯定し大事にするためのメッセージを人々に届け、次の日からも暗黙のルールを守り社会で戦うための元気を与えているように思えてならない。
放送業界は最近では、表現に対しての自粛や謝罪が目立つように思えるが、このラジオの存在が、委縮とも取られかねない放送の表現の幅を、なんとか保とうとしているように感じるのだ。
体制に挑戦するようにグッチさんを振り回すキントモ先生がいる限り、ロックとラジオ死なない。
グッチさんの選曲やお料理豆知識、グッチさんの選曲に対して8割9割「良いんじゃないですか?」と適当に返したり、毎回何かしらで台詞を噛むキントモ先生が、あなたの生活をより良くしてくれること請け合いなので、社会での戦いに疲れた方もそうでない方もぜひご視聴を。